昨年暮れに日本医事新報より「識者の眼」への寄稿の依頼が届いた。日頃から感じていることを言語化できる貴重な機会と二つ返事で引き受けたものの、自分が医療界を読み解くほどの「識者」として適格なのか、何をどう書こうか、クヨクヨ悩んでいる間に、編集部の方には大変申し訳ないことに1稿目を提出しそびれてしまった。
そもそも「識者」とは何か。筆者は乳癌を専門とする腫瘍内科医として二十余年、関連分野にはある程度の知恵はあるものの、かなり偏りのあるキャリアであり、幅広い読者を満足しうる「識者」足りえるか、はなはだ自信がない。
そんな中、公益財団法人 公益法人協会副理事長の鈴木勝治氏の「有識者考」と題したコラムが目を引いた。氏は、国の審議会や調査会が情報公開されるようになり、一部の「有識者」と呼ばれる人たちの「常識・知識の欠落」や「党派性」、「属する団体への利益誘導等のための意見」のために、「会全体の存在価値やその提言内容自体が疑われるようになる恐れがある」ことを憂いておられ、会議を透明化すると同時に、「有識者」の人選において十分な良識・常識を持っている人、斬新な意見や健全な異論を展開できる人の選任を要望する、との論を張っておられた。
国の審議会や調査会とは次元が違うが、医学・医療系の会議はどうだろうか。形式的で、予定調和的な会議のなんと多いことか。5年ほど前、オランダに渡り臨床倫理カンファレンスのファシリテーションのトレーニングを受けたときにDebate(討論)とDialogue(対話)の違いを意識することを学んだ。Debateでは、「正解」があることを前提に、相手を論理で説得または論破していく必要がある。それに対してDialogueは、それぞれが異なる答えを持っていることを前提とし、他者の意見に耳を傾け、共通の理解を探り、創造的な解決策を生み出すための協働である。現場のジレンマを扱う臨床倫理カンファレンスのファシリテーターには、参加者の多様な価値観や考えを引き出しながら、ジレンマに直面する当人たちが具体的なアクションを見出せるよう、対話を紡ぐ力が求められる。
企業の成長戦略としてダイバーシティ&インクルージョンはいまや常識だそうだ。翻って病院や学会などの組織は、相も変わらず縦割りで、内向きで、多職種協働や患者・市民参画も立ち遅れている。病院や学会も、組織の価値を高めるために、議論の場で異論を出しやすくする空気、異論を歓迎する空気、対話を創造につなげる空気が大切なのではないか。「識者」は、自身の「有識」の上に胡坐をかくことなく、他者を尊重し、対話を育む責任があるのではないか。
清水千佳子(国立国際医療研究センター病院がん総合診療センター/乳腺・腫瘍内科診療科長)[有識者][他者の尊重][対話を育む]