現代社会の特徴はなにか? と問われれば、私は「誰もが発信することができる時代」と答えると思う。internetで世界が結ばれ、アパートの部屋で創った音楽が地球上のどこにでも配信される。
選挙のとき、influencerと呼ばれる人たちがSNS上に公開した言動を政治家が重要視せざるをえなくなった。そのようにして発信力のある人の社会的優位性が高まったのが現代社会だと思う。
人々が世界を相手に発信することを重要視する社会に身を置いて、不安を感じることがある。それは、人と人との間の「受信する力」の低下を感じることだ。人は、頭で考えた理屈を言葉で相手に伝えることができる。
しかし、心の中の本当に大切なことは、言葉で伝えられないことがほとんどだ。だから、人には本来、他者が発しているシグナル、他者の沈黙の言葉、他者の存在そのものを、自分から受け止めることができる受信力が備わっている。言葉にならない言葉を伝えることができずに苦しんでいるとき、それをすっと感受してくれる人に出会うと、私はその人との間に愛を感じる。私は、愛とは相手の存在そのものを受信できる力ではないかと考えるようになった。
詩人の長田 弘さんの『魂は』という詩に、このような言葉がある。
「ひとが誤るのは、いつでも言葉を過信してだ。きれいな言葉は嘘をつく。この世を醜くするのは、不実な言葉だ。誰でも、なんでもいうことができる。だから、何をいいえるか、ではない。何をいいえないか、だ。」
発信力を磨くことは大切なことだ。しかし、受信力が低下している社会では、言葉が一方通行にばらまかれるだけで、発信する人は受け止められた感覚を得られない。すると発信者はより過激な、きわどい言葉を発するしかなくなる。その言葉が人を傷つけ、さらには世界を醜くするのではないのか?
受信力の欠如した世界は、人と人を分断する。それは決して幸せな社会ではない。そして、受信力は発信力のように目に見えて評価されることがないから、とても繊細で衰えやすい。今、私たちはその危機に立っているのではないのだろうか?
現代社会において大切なことは、言葉を過信せずに、相手の存在を自ら受け止める受信力を回復することだ、と私は考える。
3年間続けてきた私の連載をこれで終えます。読者の皆様、本当に有り難うございました。そして、私に伴走してくださった日本医事新報社の永野拓紀子さん、原藤健紀さん、大谷暢直さんに心から感謝しております。
小豆畑丈夫(青燈会小豆畑病院理事長・病院長)[受信する力の低下]