寄生虫分野における自家感染実験は、細菌・ウイルス分野におけるそれよりも活発に行われてきた。その最大の理由は、寄生虫の研究では動物実験ができない面が多いからである。
太平洋戦争が終わって間もない頃、飢えをしのぐため国会議事堂の前の空き地にさえ家庭菜園がつくられ、「下肥」を肥料として野菜が栽培されていた。その頃は日本国民の70%が回虫などの寄生虫に感染していた。
それから3/4世紀が経過した。「虫」の種類に変化は見られるものの、今でも世界は「虫だらけ」の様相は変わっていない。しかし、そんな中にあって日本は回虫症、鉤虫症などの腸管寄生虫のみならず、制圧の難しいマラリア、住血吸虫症、フィラリアなどの寄生虫病の根絶に成功した1)。
本症は日本人には最も馴染みの深い寄生虫症であるが、日本ではその制圧に成功した。しかし、現在でも世界では約10億人の感染者がいると推定されている。
日本では1990年以降、自然食ブームで本症のリバイバル例がみられるようになった。1人の患者から1332匹とも2)、5000匹3)ともいう多数の虫体が見られた例が報告されている。臨床症状は無症状から腹痛、栄養失調まで多彩である。
回虫のメスは1匹当たり1日に約20万個もの卵を産み4)、卵は宿主の大便とともに排出される。便の処理が不適切であったり、手洗いが不十分であったりすると、排出された卵が再び口から入って感染を繰り返す。 卵は腸内で孵化して幼虫となるが、そのままそこで成虫になるのではない。幼虫は宿主の体内を巡る大旅行に出かける。幼虫は腸から血管へ侵入し、様々な臓器に運ばれる。肺に達した幼虫は、気道を経由して口腔に達し、再び腸管にもどり、成虫となる。咳とともに口から回虫が吐き出されることがある。「人の腹の中から生きた蛇が見つかった」などという話の由来はこのあたりにあるのだろう。
吉田貞雄はヒト回虫のモルモットを用いた実験において、モルモットの腸管内で孵化した幼虫はヒトの場合と同様に肺に到達する(体内移動説)ことを認めた。しかし、幼虫はモルモットの肺内では成虫にまで成長はできない。吉田はモルモットの肺から回収した幼虫を50匹集めて水とともに飲みこんだ。その76日目に自分の大便内に回虫卵を認め、400日目に駆虫したところ、メス成虫が出てきた5)。これは回虫の一生を理解する上で貴重な自家実験である。なお、回虫卵を自らの意思で飲んだ研究者は枚挙に暇がない。
1)日本住血吸虫症
本症は「水腫脹満」などと呼ばれて、ツツガムシ病と並んで日本では最も悲惨な風土病のひとつであった。わが国では1977年以降、本症の発生はみられていないが、世界中では別種(本症を入れて5種)の住血吸虫症感染者は2億人いて、無視できない状況にある6)。
念のため、当吸虫全般の生活史を確認しておこう。成虫は種によって腸間膜あるいは膀胱の静脈内に生息して交接する。腸または膀胱の粘膜を貫通して大便、または尿中に排泄される虫卵もあれば、宿主の臓器内にとどまるか、門脈系を介して肝、ないしはほかの臓器(肺、中枢神経系)に運ばれる虫卵もある。排出された虫卵は淡水中で孵化してミラシジウムを放出し、ミラシジウムは淡水貝に侵入する。増殖後に何千もの自由遊泳性のセルカリア(感染型幼虫)が放出される。セルカリアは曝露後に数分で人の皮膚を貫通して幼住血吸虫に変態し、血流とともに移動して肺に到達し、そこで約6週間で成熟する。その後、最終的な生息部位である腸間膜、または泌尿生殖路の静脈叢に移行する。虫卵はセルカリアの皮膚貫通後1~3カ月で大便、または尿中に現れる。成虫の寿命は3~37年と推定される。特筆すべきことは、日本住血吸虫の生活史はすべて日本人研究者によって解明されたことである7)8)。
松浦有志太郎は本症流行地である岡山県後月郡の水田に行き、自らの足を水田に浸し、皮膚にカブレが生じること、そして、1カ月後には自らの大便内に本症の虫卵を認めた。幸い、重症に至らずに済み、水腫脹満にもならず、71歳のとき「心臓麻痺」で没した9)。
1908年、クロード・バーロウは当吸虫に興味を持った。宣教師として中国の田舎に赴任し、自分の診ている患者の半数が吸虫に感染していることを知ったからである。村民全体が感染者という村もあった。彼は1年間の休暇をとり、ロンドン大学熱帯医学部で寄生虫について学んだ。中国に戻った彼は当吸虫症の究明のため、文字通りわが命を捧げ、涙ぐましいばかりの研究を続けた。その対象は学問的には日本住血吸虫症で、成虫の全長は2cmほどである。感染は上記のごとくセルカリアの経皮感染により成立するのであるが、バーロウの研究は感染者からの成虫を飲み込むことから始まった。しかし、残念ながら、このように寄生虫の生活史を無視した感染実験の成果はまったく上がらなかった(のも無理はない)。後に、彼はカイロでも同様の手技でビルハルツ型でも研究しているが、同じことであった10)。
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