[要旨]アフリカにあるスーダンは内戦を経て南スーダンが独立するに至るが、筆者は内戦中の2002年に外務省医務官として赴任し05年に辞職、認定NPO法人ロシナンテスを設立し医療活動に従事している。多くの医師を育てるシステムがあるものの国外流出があり、居残る医師も首都に集中している。そのような状況の中、無医村地域の巡回診療を保健省と協働で行なっている。限られた医療資源の中で地域医療をどうするのかをスーダン人とともに考えている。
アフリカ大陸北西部、エジプトの南に位置するスーダン(図1)。青ナイルと白ナイルが合流するハルツームが首都であり、人口約4000万人、国民の大多数が熱心なイスラム教徒である。長年の内戦の末、05年に停戦合意、11年に南スーダンが分離独立した。
医療統計は、妊産婦死亡率311人(744人)(出産10万対)、5歳未満児死亡率70人(128人)(出生1000人対)、(2016[1990]WHO統計)であり、内戦中と比較して改善されてきてはいるが、我が国の戦前および1950年代と同じレベルである。
スーダンの人たちは、内戦があったものの周辺諸国に比べて教育に力を注いでおり、中でも顕著なのが医学教育で、国内に医学部が30存在し、医師数は約4万6000である。しかし多くのスーダン人医師がサウジアラビア、英国などに流出している。さらに国内に限っても、医療施設が整い、収入が多く得られる首都ハルツームに集中しており、我が国以上に医師の偏在が認められる。
私は、02年在スーダン日本国大使館の医務官として赴任するも、欧米諸国と同様に我が国からの支援停止の状況があり、目の前の苦しむ人々を見て05年に外務省を辞職し、医療協力のために認定NPO法人ロシナンテスを設立して、現在まで活動を継続させている。自分の非力さをドン・キホーテの騎乗するロシナンテに例え、しかしロシナンテが集結すれば大きな力になると信じ、団体名をロシナンテスとした。
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