私たちの日常診療は「意思決定」の連続とも言える。厚生労働省は2018年6月、『認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン』を発表した。一方、前回(No.4999)述べたように、同省は「人生会議」の普及・啓発に努めているが、これは人生の最終段階における「意思決定」の重要性と関連がある。その背景には、認知症でも人生の最終段階においても、医療行為を患者本人がいないところで決めず、本人の意思を尊重するという姿勢が基本にある。
患者本人の意思。たしかに最重要だが、いざ患者と対峙してみると、たとえ認知機能が低下していない場合でもそれを捉えることの難しさを痛感する。例えば経口抗凝固薬を処方する際、脳梗塞予防のベネフィットと副作用リスクをお話するのが型であるが、患者が具体的な「リスク」「ベネフィット」を自らの問題として捉えることは相当難しく、ある意味不可能ではないかと思われる。
リスクはその事象のもたらすインパクトと確率の積で示されるが、将来「脳梗塞で寝たきりになる」ことや「大出血でショックになる」ことを具体的にイメージできる人は非常に少ない。あるいは漠然としたイメージはあるにせよ「自分はならない」という正常性バイアスが心のどこかに潜んでいる。さらに「薬を飲めば〇〇%脳梗塞が減るが脳出血は○%起きる」と言われてもそれを実感としてとらえることは非常に難しい。人は自分の経験値に基づかないことについては確率的な思考ができない。患者はインパクト、確率両面とも当事者意識を持ちにくい。一方医療者は将来のイベントについて経験に基づきある程度のイメージを持っており、確率についても概ね理解している(と思われる)。リスクに関するイメージという点でむしろ医療者のほうがある意味当事者性を認識しやすいという、逆説的な意味での情報の非対称性が存在してしまうのである。
このような患者は確固たる「意思」を持てるのか。そもそも「意思」とは何なのか、今後とも考えていきたい。
小田倉弘典(土橋内科医院院長)[リスク][意思決定][SDM]