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【識者の眼】「なぜ、医療・医学の世界に宗教(仏教)が望まれるのか」田畑正久

No.5038 (2020年11月14日発行) P.59

田畑正久 (佐藤第二病院院長、龍谷大客員教授)

登録日: 2020-10-28

最終更新日: 2020-10-28

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日常の医療活動では科学的思考の医療が基本です。それは実際に効果を発揮しており、仏教的視点はほとんど隠し味程度にしか働かないでしょう。

新型コロナウイルス感染症への対応もまさにそういう一面がありますが、まだ治療法がはっきりしていませんので、病気と闘うのか、それとも付き合って行くのかの方向性が課題になっており、そこに医療関係者の視点が向けられています。私もその領域の専門家の指針を尊重して対応しようと科学的合理思考の情報を大事にしています。

一方、医療は対人援助の仕事と言うことが出来ます。病気を抱えた人間を援助するということです。病気を治癒させることで解決できる内容が多いでしょう。しかし、病気になることで色々な悩み・不安が引き起こされます。病気を繰り返す人、慢性疾患と付き合っていかなければならない人、病気が死に結び付く人など、不安・悩みが尽きないことになります。

人間は不安や悩みの苦を厭い楽を願い求めます。問題は、苦から楽に向かっていくというその歩みが、どこまでいっても苦楽の世界を一歩も出ていないということです。これこそ、仏教では「苦」というのです。如何に順風な人生の人も、順境・逆境に関係なく老病死を免れることはできません。世界保健機関(WHO)の理事会が健康の定義にspiritualな要素を追加したのは、人生において必須の課題と思われているからです(総会決定ではない)。

日本の医療界は医療を対人援助のサービス業として自覚しながら、宗教的援助だけは、患者一人一人の私的問題だとして無視する結果になっています。人間の老病死の受けとめは人間にとって普遍的な課題なのです。しかし、多くの医療者は無宗教ということがいわゆるインテリの矜持みたいに考えているのでしょう。日本の宗教事情があまりにも玉石混交で、宗教的目覚め、気づき、悟りに程遠い宗教現象がマスメディアを賑わすゆえに、ということでしょう。

対人援助においては、「人間とは」「人生とは」の全体像をより広く深く洞察する普遍的宗教の視点が大事ではないでしょうか。科学と宗教は補完的に機能することが願われます。

田畑正久(佐藤第二病院院長、龍谷大客員教授)[医療と仏教]

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