刑務所・少年院などで医療を提供する矯正医官の勤務環境は、2015年の特例法施行で大幅に改善された。国家公務員の医師でありながら柔軟に兼業や調査研究ができるようになり、医師としてキャリアを積む上でも矯正医療は魅力的な職場の1つとなっている。一般社会からは見えにくい矯正医療の現場はいまどのように変わり、どのような課題を抱えているのか。本シリーズでは、元矯正医療管理官や現役の矯正医官の話から実態に迫りたい。
現在、厚生労働省の近畿厚生局長を務める医系技官の桐生康生さんが、法務省矯正局に矯正医療管理官として着任したのは2014年。当時、刑務所・少年院などの矯正施設で被収容者の診療・健康管理を行う矯正医官は充足率70%台まで減少し、「矯正医療は崩壊・存亡の危機にある」とまでいわれていた。
矯正医官が激減した背景には「医療技術の維持・向上が困難な勤務環境」「硬直的な勤務時間管理」などの問題があった。桐生さんは、矯正医官の継続的・安定的な人材確保を目指した特例法の制度設計に携わり、全国の矯正医官の声に耳を傾けた。
現場の間で多かったのは、「専門医資格が少しずつ減っていくんだよね」といった専門医等の資格維持が困難な実情を訴える声、また一般の病院のように困った時に他の医師に相談できない環境への不安の声だった。
こうした現場の声を反映し、矯正医官特例法(矯正医官の兼業の特例等に関する法律)は2015年12月に施行された。最も大きな変化は、それまで内閣総理大臣と法務大臣の許可が必要だった矯正施設外で診療を行う「兼業」が、法務大臣の承認のみで可能となり、平日昼間の兼業や報酬を得る兼業が簡易な手続きでできるようになったこと。フレックスタイム制により柔軟な勤務時間配分も可能となった。
「通常、公務員は兼業が原則禁止されており、公益性がある場合などに限り週1日程度の兼業が認められる場合があります。一方、矯正医官は、勤務時間内の兼業が週に19時間、約2日半まで認められるようになりました。当時、『こんなに優遇する制度をつくっていいのか』という思いもありましたが、矯正医官特例法は被収容者のための法律です。矯正医官が外部の医療機関での診療・研究がしやすくなり、医療技術を維持・向上できることにより、医師自身のメリットだけでなく、被収容者がより適切な医療を受けられるようになることを目指して制度設計しました」(桐生さん)
矯正局では特例法制定と合わせて矯正施設の近隣の医療機関や大学病院に医師派遣を要請するなどの取り組みも進めた。こうした取り組みの効果で矯正医官数は2015年以降徐々に増加し、2020年の充足率は90%(定員328人に対し実員294人)まで回復した。
特例法制定後に採用された矯正医官の約8割は兼業等により施設外で研鑽を積んでいるという。制度を活用し勤務時間を調整しながら自らの技術を高め、施設内の医療に還元するという良い循環が出来つつある。
しかし、矯正医療の現場にはまだ多くの課題がある。
「充足していない矯正施設の医師の確保がまず重要な課題です。9割確保できたといっても施設間の偏在もあり、実際には医師の確保が必要な施設は1割以上あります。加えて、個々の医師のスキル向上、チーム医療のレベル向上という課題もあります」(桐生さん)
受刑者や非行少年を診る矯正医療に対しては「怖い」「危険」というイメージを持たれることが多いが、桐生さんは、現場の矯正医官からは「むしろ一般の医療機関での診療よりも安全」という声をよく聞くという。
「刑務所の場合、診察する時には必ず刑務官が付き添うので、暴言や暴行が加えられる心配はありません。准看護師資格を持つ刑務官もいるので、診察のサポートをしながら戒護することもできます。ワークライフバランスが維持できる安全な職場ということで、子育て中の女性医師の働き方にも馴染みやすく、女性医師にもおすすめです」
矯正医療は「総合診療・プライマリケアの経験がある医師でなければ務まらない」という見方をされることも多い。桐生さんは「特定の診療科・領域の医療に従事してきた医師であっても『プライマリケアをやってみよう』というマインドがあれば矯正医官の仕事は十分こなせます。専門性の高い医療を行うと同時にプライマリケアをきちんと行っている矯正医官は多い」と強調する。
残り2回の記事では、様々なキャリアを経て矯正医官となり、医療刑務所に勤める医官に話を聞く。
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