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【識者の眼】「『感染症医』のすゝめ」岩田健太郎

No.5124 (2022年07月09日発行) P.63

岩田健太郎 (神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)

登録日: 2022-06-28

最終更新日: 2022-06-28

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感染症を勉強していたある医師が、感染症ではなく総合診療をやりたいと言ってきた。自分は感染症のような専門領域ではなく、総合診療のような「患者中心の医療」をやりたい、のだとか。

感染症の勉強をする人には「感染症のプロにはならなくてよい」と申し上げている。実際、大多数の医者は感染症のプロにはならない。それでも感染症と無縁で医療界にいることはほぼほぼ不可能なので、感染症の勉強はきっと役に立つ。僕らが感染症を教えるのは仲間を増やすリクルート活動ではなく、もう少し大きなミッションだ。感染症の道に「進まない」からこそ一所懸命教える。その人が腰を据えて感染症を勉強するのはこれが生涯最後かもしれないから。

個人的な意見だがプライマリ・ケアの領域は家で言えばダイニングルームだ。脳外科や心臓外科のような花形は玄関や客間だろうか。我々感染症領域は「便所」である。ただし、便所が汚かったり壊れてたり、あるいは存在しなかったら、生活の質はだだ下がりだけど。

「患者が中心」な医療は医療者がチームとなってそれぞれの役割を適切にこなしてこそ可能になる。検査技師や看護師や薬剤師が、あるいは医事課やごみ処理担当者がそれぞれの職責を果たせなければ「患者中心」の医療は遂行できない。

僕も若い頃は勘違いしていたが「何でもできる医者」になりたがる人は多い。が、実際には「何でもしている」医者はこの世にはいない。医療は沢山の人達のチームプレーに支えられている。プレーヤーの中には患者の顔を見ることもなく職責を果たす人も多い。診断放射線科医や病理医がその一例だ。彼らのサポートなしに「患者中心の医療」は存在しえない。

患者と対面で、直接ケアに従事したいという願望を僕は否定しないし、僕自身そういう欲はある。が、それは「患者中心の医療」とはなんの関係もない話だ。「患者中心の医療」がやりたいから総合診療をやりたいというのは単なる自分のエゴの発動、「自分中心の医療」以外の何者でもない。

主役か脇役かで言えば感染症屋は明らかに脇役だ。僕らはほとんどの場合コンサルタントであり、主治医ですらない。それはいい。我々は良い芝居を希求する。主役だって希求すべきは「良い芝居」なのであり、「俺が主役であること」ではあるまい。

主治医をやりたいから感染症は嫌だ、という意見は何度も聞いた。脇役でよいから「患者中心の医療」がやりたい人は一緒にやりませんか。

岩田健太郎(神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)[患者中心の医療]

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