高級レストランで食事をしている。が、料理がまずい。「美味しくない」と正直に感想を漏らしたら、厨房から出て来たシェフが私にこう語った。「『お客さんが日本人であること』がこの料理をまずくする原因です。お客さんが日本人でなかったら、この料理は美味しいのですよ」。
「日本人」を「女性」に替えると違和感がより鮮明になる。「あなたが女だからこの料理が美味しくないのです」って客に堂々と告げるシェフがいたら……。ありえない。
このシェフと同じことを薬業界のヒト(産学官すべて)は平然と口走る。新薬開発のガイドラインに「人種・民族などは薬の有効性に影響を与える効果修飾因子である」といった記載がある。患者が日本人であることはお薬の効果を低く(高く)する要因なのだそうである。
「このお薬の有効性は人種、性別、年齢によって影響を受けます」という表現は一見自然である。が、医療の根幹に立ち返ったとき、この表現はとんでもない毒を含んでおり、私たちは長いことこの毒に苦しめられている。なのに、業界人は毒を同定しようとも、解毒剤を作ろうともしない。毒を毒と認めると業界的に相当に面倒なことが起きるから。
毒の由来は明らかで、「有効性」という語のテキトーな使用である。「有効性」を「薬に内在する神秘のパワー(笑)」と扱い、それが実は対象との関係を表す言葉であることを無視するから毒が発生する。自らも毒の発生源であることを知ってか知らずか、薬の専門家は「使い方次第で薬は毒にもクスリにもなるんですよ、ははは」と平然と宣(のたま)う。怪しい人たちである。
医薬品開発での人種・民族の扱いは誰にとっても悩みの種なのだから、無自覚なおクスリ様中心主義(pharma-centric)ではなく、ヒト様中心主義(human-centric)の理屈・哲学を構築するのは医療人の責務である。少なくとも公的な規制においては、「お薬が何かを引き起こす。『何か』が何かは知らんけど」ではなく、「大切なあの人が、薬と称するモノを飲むと、治る」が有効性の定義のあるべき方向である。
「今流行の患者中心(patient centricity)の新薬開発で、業界はその方向をめざしてるじゃないか」って? うーん……申し訳ないけど現状は、シェフが「えっ? 客にも味覚があったの?」と初めて気づいたふりをしてるだけに見えますけど。
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[医薬品の有効性][human-centric]