世界の緩和ケアは、「病院の中での終末期に限定した緩和ケア」から、「早期からの外来も含めた緩和ケア」へ移行し、そしていま「地域全体の生活を通じて社会的な役割を保ち続けられるような環境を整備し、苦痛が発生することを予防していく」ところへシフトしてきている。
そこで重要なことは、市民が暮らしているだけで緩和ケアが自然と受けられている環境であったり、いつでも受けたいときに、受けたいような形で緩和ケアが受けられたりする社会をつくっていくことである。いまだはびこっている「あなたはまだ緩和ケアを受けるような人ではない」という言葉はなくさなければならない。
つまり、「暮らしの保健室」のような、町なかで気軽に医療者とつながれるような場から緩和ケアにアクセスする人がいてもよいし、終末期になってから緩和ケアにつながる人がいてもよい。重要なのは、その入り方を患者側が選択できることであり、さらに言えばどの入り口から緩和ケアにエントリーしたとしても、その人の状況やニーズに応じて他の領域にスムーズに移行していける地域をつくっていくことだ。
たとえば、ある患者がカフェのマスターに自分が癌になったことを告白した場合、そのマスターが話を聞くだけではなく、「そういうことなら暮らしの保健室に行ってみなよ」とつないでくれ、さらに暮らしの保健室では「ここに通うのも良いけど、体の痛みもあるなら緩和ケアの外来にかかってみたら?」と、近隣で緩和ケア外来を開設している窓口ともつないでくれる。また別の患者の場合、終末期からしか緩和ケアに関わることができなかったとしても、その残された家族がグリーフケアを受けるために暮らしの保健室を紹介され、そこで数カ月話をしたところで地域のサークル活動につながっていく……などもあるかもしれない。
筆者は、このような仕組みのことを「重層的緩和ケア」と呼び、川崎市内でこの仕組みをつくるために奔走しているが、ここで重要なのは緩和ケアネットワークをつくるのに地域・市民の力は絶対に必要であるということ。住民の生涯を通じた緩和ケアを実践するために、「入り口としての」病院はもちろん必要だが、それ以外にも「入り口としてのカフェ」「入り口としての銭湯」「入り口としての劇場」……などを地域にたくさんつくる必要がある。それは、市民の生活は人それぞれであり、その多様性に戦略的に取り組むとしたら、入り口は1つでも多いほうが有利だからだ。そしてその入り口一つひとつもまた孤立するのではなく、ネットワークでつながっていく、つまり地域を「点」ではなく「網」で支えるイメージが重要と考えて活動を続けている。
西 智弘(川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)[緩和ケアへの入り口][暮らしの保健室][ネットワーク]