5月の連休を過ぎると、4月に入職した病院職員は「新人」の衣を脱いで仕事に慣れていく。一方5月にやめる職員もいる。かつてこの時期の不適応状態は、「五月病」と呼ばれた。これは、1960年代に東京大学のキャンパスで使われはじめた言葉で、「過酷な受験を通り抜けてきた大学生が、緊張感からの解放や講義内容への失望から、5月に一過性に無為怠惰な状態になること」とされる。その後この状態は新入社員にも認められ、流行語にもなった。つまり五月病とは、個人の職場不適応状態を指しており、その前提には職場は個人の側が適応するものだという社会常識があった。
かわって現在、職場適応と関連するホットな話題は、4月から事業者による障害者への提供が義務化された「合理的配慮」である。これは障害者から「社会的バリアを取り除くよう意思が示された場合に、その実施に伴う負担が過重でない範囲で、バリアを取り除くために必要かつ合理的な対応をすること」と定義される。配慮は、①必要とされる範囲で本来の業務に付随するもの、②障害のない人と同等の機会の提供を受けるためのもの、③事業の目的・内容・機能の本質的変更には及ばない合理的範囲、を指す。配慮内容の決定には、事業者と本人で対話を重ね、ともに解決策を検討する「建設的対話」が重要とされる。配慮の対象には精神障害、知的障害、発達障害が含まれる。たとえば、発達障害への合理的配慮の例として、「自ら相談することが苦手な場合は相談担当者を決め、毎日質問の時間を設ける」「急な予定の変更や臨機応変な対応が苦手な場合は、1日の業務スケジュールを立て、事前に説明する」といった対応が挙げられている。
これにより個人の側が適応できるよう配慮すること、個人と建設的対話を重ねることが、職場の守るべき社会常識となったのである。しかし病院は、実際には多忙かつ複雑な対人交流に満ちた職場である。大学の場合、数年前から学生の合理的配慮要請に際しては、会議を頻回に行い数カ月かけて配慮内容を決定しているが、このような対応ははたして病院でも可能だろうか。また、たとえば発達障害の一部には、相手の感情や雰囲気を感じ取ることや、自分の行動の不適切さに対し、理解や実感が困難な障害を抱えている例がある。このような特徴が強い新人職員に対して「建設的対話」に基づく配慮が臨床現場でどの程度できるだろうか。しかしそもそもこうした懸念をすること自体が差別的だという考え方もある。病院管理職や労務管理者は、職員への合理的配慮について、今後具体的なイメージを共有していく必要があるだろう。
ところで合理的配慮という概念は障害者差別防止法に基づく。障害者に対し、偏見に基づいて仕事をさせないことは差別になる、だから本人の障害を理解して短所を援助してあげることで同じ仕事ができるよう職場が配慮すべきなのである。その良し悪しに悩む管理職の方は、五月病に注意頂きたい。
太刀川弘和(筑波大学医学医療系災害・地域精神医学教授)[発達障害][差別防止法][合理的配慮]