No.5240 (2024年09月28日発行) P.63
小野俊介 (東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)
登録日: 2024-09-09
最終更新日: 2024-09-09
時代が変わりつつあるとはいえ、医師を含む日本の組織人の多くは「定年制」という強制退職制度に粛々としたがっている。定年制は社会・文化・歴史の産物であり、その是非を軽々に論ずる気は毛頭ない。が、現代人の宿痾、「経済効率」という視点で見たとき、定年制のダメージが過小評価されているように思うようになった。自分の定年が近いからである。
大学の研究者は定年が見えてくると、新しいアイデアの研究に手を出さ(せ)なくなる。末席を汚す私のごとき者でも新しいアイデアは常にある。が、自分オリジナルの研究体制を苦労してつくったところで、定年が来たら取り壊されるのだから、虚しいだけである。研究費の公募でも近視眼的なものしか提案できなくなる。
研究を継続しようと思ったら、別の大学・研究所への就職活動や資金調達に励まねばならぬ。企業で働く卒業生・OBに頭を下げて寄付金を集めたり。「肩書を失う」という心理的恐怖に加えて、学者は肩書がないと論文投稿もできない(投稿規定を事実上満たせない)から、退職後の肩書確保は文字通り死活問題である。
勉強の意欲も残念ながら失せる。「学者は日々研鑽すべし」という崇高なタテマエも定年の前では無力である。だって、どうせ辞めさせられるんだもん(笑)。日本の大センセイたちが異分野の教科書を読んでるのを見たことがない理由の1つはこれだろうと私は睨んでいる。
定年の無力感のタネは定年のはるか前に仕込まれ、発芽する。なにせ就職の際に定年を念押しされているのだから。日本の何千万人もの勤労者が人生の後半、最も知的生産性が高い時期にサボタージュをするよう促されているようにも見える。
研究者の多くは定年について恨み言を言わないし、「やる気、なくなりました。テへ」と公言もしない(私のような変わり者以外は)。自らの(再)雇用を危うくするから当然なのだが、自分のモチベーションを正直に語ることがある種のタブーになってしまっているこの国で、心が躍るイノベーションなど起きるわけないよなぁ、とは思う。
薬効評価のガイドラインを共に創る米国FDA(定年はない)職員の中には超ベテランの、すさまじい知識と経験を持つおじいさんがいて、いつも感動させられる。彼らに共通するのは「自らの意志でこの仕事を選んでいる(給料は企業より安いけど)」という医薬品のプロとしての強烈な自負である。
定年が近くなると慇懃に、しかし強制的にポジションを奪われる日本の産官学の医薬品のプロたちは、そのような自負を持ち続けているのだろうか。これは、パブリックヘルスの問題である。
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[定年制][肩書]