本稿は、この20年間宮城県の感染症サーベイランス事業のお手伝いをしてきた経験をもとにした物言いである。2025年4月7日から国の指示で地方衛生研究所の感染症発生動向調査項目にあらたに急性呼吸器感染症(acute respiratory infection:ARI)が加わった。ARIの症例定義は「感染症を疑う咳嗽、咽頭痛、呼吸困難、鼻汁、鼻閉のいずれか1つ以上を有する発症10日以内の外来患者」である。それを監視定点が毎週集計し報告する。始まって1カ月以上経つが、これがまた、すこぶる評判が悪い。これを押しつけられた長年定点になっている開業医の先生方など現場担当者の間に、ブーイングの声がこだましている。
調査事業の一大変革だが、これまで寄せられた情報を見ると、従来の個別の感染症と比べ、定点当たりの報告数がやたらと多く、さらに地域差が大きい。先の症例定義を見れば納得である。鼻水だの鼻づまりだの、日常的に普通にみられる症状の症例も報告対象である。その上、定点数も多くはないため、各地域の定点報告の加減の傾向に引きずられるのだろう。
この変革で意図していたのは、新しい感染症の脅威の芽をみつけるということらしい。これを報じるメディアには、“「かぜ」を5類感染症として患者数を把握”、“未知の感染症を見逃さず、いち早く探知へ”といった類の、打ち上げ花火的フレーズが躍っていた。COVID-19パンデミックが教訓のようだ。だが、冷静に見て、これでは目論見どおりにはいかないだろう。何かが生じていても、膨大な鼻水症例と地域差の中に埋没するだけ。「干し草の山の中から針1本を探し出そうとする」の比喩がぴったりの無駄な努力である。結局これまで通り、物事が大きくなって初めてわかるということにしかならないだろう。現場の先生方の手間と時間に見合った成果は、望むべくもない。目的は意欲的でよい。だが、その実現のための具体的な事業設計がよくない。まあ、実施する前からこうなることは、予想できていた。だれがどのようにこれを決めたのかわからず、だれに説明をお願いしたらよいのかわからないが、対象を軽いものにまで広げて報告数を増やしてやりさえすれば脅威となる感染症はひっかかってくる、とでも思ったのだろうか。
思うに、この目的でやるならむしろ入院サーベイランスの強化ではないのか。地域の主要な病院のすべてを対象にした、感染症を疑う呼吸器疾患と原因不明の疾患による毎週の新たな入院の報告である。このご時世、対象となりそうな病院はどこも人手不足で忙しく、協力してもらうのは大変だとは思う。だからこそ、これを強力に推し進めてきた国が、地方に丸投げすることなく主体となって、参加病院に十分なインセンティブを与え、病院の院内感染対策委員会などを経由して感染症入院情報を拾い上げるのである。そのほうが、はるかに目的にかなうはずと思うが、いかがであろうか?
西村秀一(独立行政法人国立病院機構仙台医療センター臨床研究部ウイルスセンター長)[感染症][感染症発生動向調査]