最近は、嚥下障害に関する書籍が多数出版されるようになったが、1980年代までは教科書と呼べるのはLogemannによるSLPを対象としたものしかなく、嚥下の生理や検査および治療に関して系統立てて学ぶことは容易ではなかった。
嚥下障害に関する米国の学術誌『Dysphagia』の発刊が1986年であり、米国の嚥下医学会(DRS)が組織され、第1回総会がMilwaukeeで開催されたのは1992年だった。しかし、その10年以上前に、日本では嚥下の生理や検査方法、術式について熱い議論が繰り広げられていた集会があった。それが、嚥下研究会(現:日本嚥下医学会)である。
嚥下の神経機序の解明や診断方法の開発、そして、嚥下障害の外科的治療の開発に取り組んでいた耳鼻咽喉科の先達たちが発起人となり、嚥下研究会を組織し、第1回大会を開催したのが1981年である。以後、第5回までは、協賛会社の比叡山にある研修所を借りて開催され、参加者は泊まり込みで夜通し語り合い、その開催地名から比叡山カンファレンスとも呼ばれていた。当時、耳鼻咽喉科学の中で、のど、特に嚥下障害の研究者はきわめて少ないため、嚥下の研究者たちの唯一の情報交換の場であった。
6回目以降は、毎年国内各地で開催され、発起人の1人である恩師の井上鐵三先生(防衛医大耳鼻咽喉科学初代教授)が担当された回から筆者も出席し、その高度な議論に驚いた記憶がある。口演時間15分に対して質疑応答は15分以上と、一般的な口演と比較して発表時間が長いため、理論的準備を十分に行って臨まないと質疑に耐えることができなかった。しかし、発展的な助言によって研究がブラッシュアップされることも多く、その後の研究の発展に有益であったと記憶している。のちに筆者が米国留学した際、日本の嚥下研究会のレベルの高さを再認識した。
嚥下研究会で議論された結果、臨床応用されているものも数多くあるが、未解明の項目もあり、嚥下の研究はいまだ発展途上と考える。
唐帆健浩(じんだい耳鼻咽喉科院長)[耳鼻咽喉科][摂食嚥下障害]