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【識者の眼】「社会保障という背中合わせのヤヌス」森井大一

森井大一 (日本医師会総合政策研究機構主席研究員)

登録日: 2025-01-07

最終更新日: 2025-01-07

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高校1年のときの現代文の授業で、「蛇縄麻の譬え(だじょうまのたとえ)」という仏教の話を聞いたことがある。ある人が夜道を歩いていて、少し離れたところに蛇を見つけて驚いたが、時間が経って近づいてみると、それは蛇ではなく縄で、さらに近づいてみると、それは麻でできたものだった、というような話だ。「では、その人が見たものは、本当は何だったのか」と国語教師は生徒に問うた。(その教師によると)「それは、蛇であり、縄であり、麻である」という。モノ・コトの本質は相対的ということのたとえなのだろう。

ある大学にゲストスピーカーとして呼ばれ、学部学生と社会保障について合計3時間も(!)議論する機会があった。今更だが、社会保障についての議論は年齢層によって見え方がほぼ真逆になることに気づいた。若年層にとって、社会保障は「負担」として映る(ことが多い)。確かに介護や年金は核家族で育った若者にとってイメージするのが難しかろう。医療については少し知っていても、自分や家族の日常に医療がある若者は少ないし、それでいい。「給付」について、我がこととして接する機会が少ないのだから「負担」先行の社会保障観になるのはやむをえないのかもしれない。

他方、医療に救われたことがある者であれば「日本の医療は素晴らしい」と言うだろうし、年金や介護の受給者はその安定的な「給付」を望むに違いない。多くの場合、社会保障の給付的側面を重視するようになるのは、年齢を重ねる中でのことだ。まずは自分の祖父母や親といった身内の、やがては自分自身の実存的問題として、社会保障を「給付」の側から見る視点が形成される。

筆者は、「手取りを増やす」というスローガンに紛れて社会保障下げの議論が進むことに警戒感を持つ者であるし、そのような政治言説がもてはやされるのには社会保障を負担イメージで議論してきた財務当局の責任もあると考えている。医療という「給付」の末席にある者としては、「給付」を無視あるいは軽視した議論の跋扈には忸怩たる思いがあるが、ともすると、このような間違った社会保障観は、単純に社会保障への理解不足に基づくものだと考えてしまっていた。

我々医療者は若者に向かって、「君には蛇に見えるだろうが、本当は麻なんだよ」と物知り顔で言ってきはしなかったか。本来、社会連帯のサブシステムとして機能すべき社会保障が、世代間対立をあおる言説に翻弄された2024年が過ぎ、2025年は社会保障全般にとって正念場の年になるだろう。このときに、「給付」の価値を知る我々医療者こそが、社会保障の相対的なあり様を再構成して語らなければならないのではないか。

森井大一(日本医師会総合政策研究機構主席研究員)[社会保障観][世代間対立]

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