1984年8月27日、フィンランド西ラップランド地方にある精神科単科病院ケロプダスにおいて、以下の取り決めが行われた。
「本人のいないところで本人の話をしない」
「1対1で会うことを止める」
この日は、医療側が自らの権威を自覚し、それを手放すことを決めた日である。しかし、この取り組みは突然始まったわけではない。背景には1960年代からの長期的な改革の流れがあった。
フィンランドでは精神科での長期入院が一般的であり、多くの患者が病院での生活を余儀なくされていた。患者は意思決定ができない者と見なされ、退院が許可されることはめったになかった。この現状に新しいアイデアを試行した病院とチームが誕生し、患者や家族のニーズを丁寧に聞く「ニーズ適合型治療」という試みを開始した。この試みでは、患者の診断や治療方針を一方的に決めるのではなく、患者と家族の声を聞きながらニーズを一緒に考えることで、入院患者を約4割減少させる効果があった。
1979年には、長期入院を事実上禁止する法改正が行われ、改革が加速した。ケロプダス病院では、150床の病床が長期入院患者で埋まっていたが、多くの勉強会を開き、新たな治療法を模索した。その過程で次の重要な出会いがあった。
精神分析:患者の話に異議を唱えず最後まで聞くことを学んだ。それが精神病状と思われるもの、それまでは聞いても意味がないこととされた語り、その背景には患者の人生が深く関わっていると理解した。
家族療法:治療に家族をまねいた。30年前の出来事を昨日のことのように語る家族の声を聞くことで、「これまで自分たちは何をしていたのか」を考えさせられたという。家族は話したがっていたことも知っていく。
ニーズ適合型治療:患者と家族と対等の場で対話し、一緒に本当のニーズを探していく姿勢が生まれた。医療側はチームで応答し、本人のいないところで本人の話をしないという2つの指針はこのとき出会う。
リフレクティングプロセス:対話にノルウェーで誕生したこの手法を取り入れたことで、医療側の権威性を取り除き、対等な関係での対話工夫が誕生した。
権威を手放すということは、意思決定は本人たちと合議していくことになる。結果的に医療機関は多忙をきわめていく。24時間電話が鳴りっぱなしになり、連日自宅へ訪問するなど……。そこで電話専門室やクライシスチームをつくることで、即時応答できるようにした。様々な工夫によって、患者にとって最適で無理のないシステムが誕生する。1995年、これらの成果が論文として発表され、「オープンダイアローグ」という名称が使われた。
オープンダイアローグとは、人権と尊厳を守ること、権威を持つ側が権威を手放すこと、よく話をきくこと、対話すること、アイデアを持ち寄ること、そのための工夫の結晶である。
森川すいめい(NPO法人TENOHASI理事)[オープンダイアローグ][精神科]