2017年1月20日、第45代アメリカ大統領にドナルド・トランプが就任した。
この日は、近代民主主義が終焉を迎えた記念日となった。人類の未来に微かな灯りが見え始めていた矢先だっただけに、心ある人々に与えたショックには計り知れないものがある。New York Timesのコラムニスト、ノーベル賞受賞者Krugmanでさえも語るべき言葉を失ってしまった悪夢の世界が、今現実となりつつあることを、嫌でも思い出させる日となった1)。
もちろん、アメリカ大統領は独裁者にはなれない。
周りを固める頭脳集団を中心に進められる国家運営にとって、大統領そのものはあまり重要な役目を果たさないことも事実である。極右派の政権が誕生したからといって、米国社会が劇的に変化するわけでもない。民主党政権から共和党政権に移行したことによる方針転換は避けられないだろうが、それはこれまでにも何度も行われたことであり、アメリカという国家の運営が極端に変化することはないのである。
問題はもっともっと根深いところにある。
綺麗な心を持った人々が、口には出さずともアメリカ民主主義に託していた、「もしかすると人類は、最終的には正しい道を進むことができるのかもしれない」という夢が、儚くも潰えたことにあるのである。
希望は人々が頑張って生きるための栄養素である。
心ある人々がそっと抱いていた希望の灯りが、音を立てて崩れ去ってしまった瞬間だった。
私は女性大統領がアメリカに誕生することを願っていた。
だからと言って、ヒラリー・クリントンの支持者だったわけでも、共和党を毛嫌いしていたわけでもない。実際のところアメリカという国家にとっては次の4年間が共和党政権になることが望ましいとも考えていた。クリントン政権が犯した大失策のために米国医療が今でも低迷していることを考えると、ヒラリー・クリントンを信頼することにも躊躇いがあった。それでもなお、アメリカという国家が世界の心ある人々の拠り所として存続するためには、アメリカに女性大統領の誕生が必須であると考えていたのである。人類が生き残るためには、「力の支配」の終焉を告げる象徴的な出来事が必要だったからである。
結果は、真逆の方向に振れてしまった。
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