形あるものはやがては壊れる。
保存法がよければ長持ちはするだろうが、それでも時間が経てば古くなる。エントロピーは常に増大することが実存の摂理なのである。
民主主義も同じである。
与えられた日本の民主主義が加速度をつけて老化していくのを感じた我々は、民主主義の次にあるべき制度を模索した。しかし、自分たちの能力ではとても見つけられないことを悟ったのが20歳の頃だった。
哲学が世を救うことは無理だとはわかっていても、東洋哲学の中で育った我々には先人の教えは偉大だった。調和を重んじる精神は、残念ながら西洋文化には育っていない。だからこそ、東洋哲学が最後の砦であるとも思っていた。しかし、産業革命に遅れを取った東洋は西洋列強の餌食となり、東洋思想をきちんと理解している人間が世界をリードするという夢は、大きく出遅れることになる。
私たちが生を享けた頃は、ちょうど混乱期が終息する時代だった。戦国時代に別れを告げ、民主主義という新しい体制の中でグローバル化を余儀なくされる「世界」という国家が生まれ始めた頃だった。そしてその中心となった「宗主国」がアメリカだったのである。
民主主義という限られた範疇では、アメリカの民主主義が最も効果的なシステムを持っていた。それでもやがては崩壊の時を迎える。それまでに東洋哲学が指導権を握っていなければならない。それを実現化することが自分たちの使命であると思っていた。
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