橋は落ちないことを前提としている。
それが、現代社会を支える「信頼関係」である。
もし、一人一人が自分の渡る橋が大丈夫であることを確認しなければならないのならば、社会は成り立たない。しかし同時に、絶対落ちない橋はない。
医療も同じである。
絶対確かな医療はない。しかし、医療に携わるものがそれぞれ全力を尽くしているという保証がなければならない。その信頼がなければ、医療そのものが成り立たない。どうもそれがはっきりしなくなっている。
自身の欲と功名心のために都合のよい医療を施行する医師がいたとすれば、老人を騙すオレオレ詐欺師にも劣る。ましてや計画的集団婦女暴行を実行した人間が医師として働くことが許されるなら、もう誰も医師を心から信用したりしないだろう。
どんどん心の汚い医師が増えている。最近は、「この橋は落ちないから有料です」と宣伝をしながら、実際には「泥橋」を渡らせる医者までも登場している。それでも人は医療を信じなければならない。そして、落ちるかもしれないと思いながら、医療の橋を渡る。
しかし、大半の臨床医はまだ綺麗な心を失ってはいない。日本の医療はそんなジレンマにある。だからこそ、今、信頼に足らない臨床医はたとえそれが大学教授であろうとも切り捨てる勇気を持たなければならない。
医療に権威は要らないのである。それこそがフレクスナー1)がアメリカで断行した医療改革の根底にある哲学であった。1916年のことである。今、日本の医療界はそんな英断を求めている。
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