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死生観を語ることは人生を語ること [プラタナス]

No.4704 (2014年06月21日発行) P.3

太田宣承 (特別養護老人ホーム光寿苑総合施設長/真宗大谷派 碧祥寺住職)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-03-29

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  • 介護現場での看取りケアが介護保険法に明記された2006年4月以降、介護現場での最期を選択される利用者または人が増えてきた。

    最期の場所を「家」と望まれるケースは、実は以前から圧倒的に多かった。現代は、本当の意味で本人の意思を尊重し、かなえるべく、環境や人材、「利用者本意」の考え方が育ち始めてきたのだと言えるだろう。

    しかしながら、在宅での看取りを確立するには、まだまだ多くの時間が必要である。なぜなら、日本人が死生観を持てなくなったからである。その原因としては、高度経済成長と時代を一にするように医療現場で最期を迎えることが当たり前になり、家で人が亡くなることから遠ざかっていた時間が長く、その観念から日本人自身が抜け出しにくいことが1つ。また、核家族化が進み、「個人」でも生きられる便利な環境が整ってきたことも、1つの原因になったと考えられる。

    在宅での看取りの確立が困難な現代、やはり介護現場での看取りは至上命題と言える。自身の最期を考える時、選択肢の中に介護現場があってよい。しかし、元気で若いうちは考えもしなかった自分の最期の時については、実質、誰もが考えておかなければならないテーマであるはずだ。端的に言えば、看取り以前に、人それぞれが死生観、人生観を語り理解し合う時間を持つことが、看取りケアを実践する上での必要条件だということである。

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