No.5023 (2020年08月01日発行) P.65
中井祐一郎 (川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)
登録日: 2020-07-21
最終更新日: 2020-07-21
前回(No.5020)、相模原障害者殺傷事件の犯人である植松との仮想対話を記したが、これは私の妄想ではなく、事件と選択的人工妊娠中絶との類似性を指摘する識者は多い。
この衝撃的事件は2016年7月26日に起きたが、8月5日に始まったリオ五輪の喧騒の中で注目を急速に失った。更に、9月に厚生労働省が公表した措置入院の既往による精神障害者との認識によって、障害者社会内部での出来事とすることで事件が矮小化されたようだ。そして、本年3月に確定した死刑判決も、コロナ禍の中で注目をされないままに忘れられようとしている。
出生前診断とそれに基づく選択的人工妊娠中絶には議論があるとしても、市民の中で一定の認知を受けているのも事実であろう。クライアントである妊娠女性の欲望とそれに応える診断技術の提供という視点で議論されることが多いが、こうした議論の中で、実際に中絶を行う母体保護法指定医の視点が忘れられていないだろうか。中期中絶となれば、娩出された児が生存していることも多い。母体保護法指定医は、胎児でもなく、新生児でもない彼・彼女らの心停止による死を見詰めながら待つだけである。私には何かしらの罪を感じざるを得ない仕事であるが、非選択的中絶の場合には気が軽い…妊娠女性自身の幸福もしくは不幸の軽減のための自己決定と考えれば、彼女たちと罪を共有し、昇華することもできよう。しかしながら、選択的人工妊娠中絶の場合には、女性の最終的な自己決定とはいえ、私を含めた医療者による診断が関与している。診断を行う医療者は、本当に植松と違うのか…そして、違うとすれば、どこが違うのかを自問し続ける義務がある。
私は新型出生前診断には関与しないが、妊娠女性の求めによって羊水穿刺による出生前診断を行い、人工妊娠中絶を行っている。私なりの解(医学哲学 医学倫理. 2019;37:70.)にも限界はあるが、新型出生前診断を推進するならば、胎児でもなく、新生児でもない死を見詰めてからにして欲しい。
中井祐一郎(川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)[女性を診る]