No.5048 (2021年01月23日発行) P.63
早川 智 (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)
登録日: 2020-12-27
最終更新日: 2020-12-22
NHKの大河ドラマ「麒麟が来る」は主役脇役の方々の名演もあって佳境に入っている。ドラマにはないが、光秀は一時期、医者をしていたという説を新進気鋭の歴史学者早島大祐氏が提唱しておられる。友人や家臣にあてた彼の書簡や、当時の名医たちとの親しい交流から彼の深い医学知識がわかる。ただ、診療録がないことから、医師として生計を立てていたかどうかまではわからない。国家試験も専門医資格もない時代であるから、何をもって医師とするかも難しい。古文書から光秀が非常に学識深く、幕府や朝廷、社寺との交渉で的確かつ論理的な裁定を下し、また家臣や同僚への手紙で、本人のみならず家族の身体の具合のことも含めた細やかな気づかいをする人物であったことがわかる。
では、どうして織田家中で秀吉と並び最も信長の信頼があつく、大軍を任された光秀が反逆に至ったか。足利義昭の使嗾とか、朝廷と近衛前嗣の陰謀とか、イエズス会の陰謀とか、果ては秀吉や家康の共謀とか珍説奇説は様々である。筆者は比叡山延暦寺や伊勢長島の一向宗徒の虐殺など、あまりに人を殺しすぎた信長への反感があったのではないかと思う。16世紀はヨーロッパでは宗教戦争で非常に多くの人々が生命を失っているが、わが国では徹底した大量殺戮を行ったのは信長だけである。我々医師は、学部学生のころから医師の使命は一にも二にも、「人の生命を保全し、苦痛を除くこと」というヒポクラテス以来の倫理を叩き込まれる。20世紀においても、ナチスドイツのホロコーストや毛沢東の文化大革命、ポル・ポトの虐殺に異を唱えて、処刑された医師も少なくない。光秀が実際に医業に携わったかどうかはわからないが、あまりに人を殺しすぎる信長への反感から「敵は本能寺」と叫んだのではあるまいか。
信長が少数の供を率いて守りの弱い京都の本能寺に宿泊し、麾下の軍団が日本中に展開して手薄になっているという得難いチャンス(彼にとって)を生かして目的を達成できたわけである。そこのところに科学者としての冷徹な視線をうかがうことができる。ただ、大量殺人者を除去するために自分が殺人を行うというのは矛盾であるし、何よりも主君の寝こみを襲うというのはいかにも後味が悪い。同じ反旗を翻すにしても自分の城に立て籠もったほうが後世の評価は高かったであろう。もっとも、これでは信長殺害という当初の目的を達成できなかったかもしれないが。
早川 智(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)[歴史人物]