No.5051 (2021年02月13日発行) P.63
中井祐一郎 (川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)
登録日: 2021-01-18
最終更新日: 2021-01-18
前回(No.5049)の続きである。80歳まで元気であった3人の女性だが、Bさんは何かの発作で急死し、Aさんは交通事故で即死した。生き残ったCさんは寝たきりになって、88歳で亡くなったという話だ。10年間の寝たきり生活から重度の認知症を患って死んだDさんを元気なまま急死したBさんと比較することが、PPK(ピンピンコロリ)とNNK(ネンネンコロリ)に関する議論の本質である。この場合、Bさんの生き様の方が良いな…というのが直感的判断であろう。同じく80歳で死ぬのならば、死の直前まで元気でいたBさんの方が幸せであるという訳だ。
それに比べて、Aさんの生はちょっとな…と感じられる方も多いかもしれないが、本質は同じだろう。Bさんには医療による予防的介入があれば死を回避し得た可能性があるし、Aさんも車の運転手の不注意がなければ生を繋いでいた筈だ。その場合には、Cさんのように寝たきりになって、88歳で亡くなるという道に至ったかもしれない。PPK礼賛に対する問いは、Cさんの80歳からの8年間の生をどう評価するかということである。
倫理学的なPPK批判は、生前のBさんの述懐にある「息子や嫁に迷惑をかけたくない」という意思に対するものである。「迷惑をかければ良い」…或いは、社会的支援によって家族負担を軽減した上で、生き抜ける世の中でなければならないということである。「迷惑」をかける生を否定することは、障碍者の生の権利を否定することにも繋がる。もっとも、PPKを求める気持ちには、徐々に迫ってくる死を直視したくはないという感覚もあるだろう。しかし、認知能力が低下することで、迫りくる死への認識もまた強度を失うとすれば、NNKを否定することはできない。
そろそろ死を考えなければならない年になった私にも、どこかにPPKへの憧れがある。PPK礼賛は本人の意思である限り、許容されるであろう…だが、それが望ましい生の在り方であるとして、社会的にも医学的にも推奨することは許されない筈だ。
中井祐一郎(川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)[女性を診る]