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【識者の眼】「データを語ることなく安心を語ることなかれ」神野正博

No.5072 (2021年07月10日発行) P.58

神野正博 (社会医療法人財団董仙会恵寿総合病院理事長)

登録日: 2021-06-29

最終更新日: 2021-06-29

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世論の懸念を振り切って、「安心、安全なオリンピック」というスローガンの下、万全の感染対策で東京オリンピック・パラリンピックが開催されようとしている。ここで使われる「安心、安全」「万全」に違和感を持つのは私だけだろうか?

そもそも、安心とは? 安全とは? だ。物事の本質を理解する時に、私は時に反対語を考える。あるいは、敢えて英語という言語にして、その同義語を検索する。安心の反対語は、不安であろう。また、安全の反対語は危険であろう。

危険を回避すれば安全だ。私たち医療従事者は、科学的根拠のもとにリスク分析、医療安全教育を行う。医療行為のリスクを検討し、ヒヤリハットを分析し、医療事故事例を収集・共有化し、そして危険予知トレーニングを実施する。また、私たちは災害という危険から組織を守るために、BCP(business continuity plan、事業継続計画)を作成する。しかし、あらゆる可能性を想定して対応しても、リスクはゼロとはならず、100%=万全の安全は不可能であることを知っている。

一方、不安を回避するためにどうすればいいか。私にとっての不安事は、他人にとって不安とは限らない。私の安心と他人の安心は同一とは限らないのだ。例えば、南の島で甚大な被害を及ぼした大型台風の接近のニュースを知った時に、不安になる人と、天気図や風向き、気圧などのデータを取得して、自分の地域は大丈夫と不安にならない人もいる。また、新型コロナウイルスワクチン接種における副反応では、SNS上の書き込みを見て不安になる人もいれば、その重症化予防効果のデータを見て安心する人もいる。

不安の英訳はanxietyだろう。さて、安心は? だ。secure、trusted、in peace、feel easy、reliefなどなど、状況に応じていろいろありそうだ。このように安心は、人それぞれ、そしてその人が置かれている状況に応じて異なるもの、すなわち曖昧なものではないか。科学としての尺度がないものではないか。そういった意味で、為政者やリーダーが、軽々に万全な安心を使うのはいかがなものか。

ただ、言えることは、先の台風やワクチンの例のごとく、安心には納得できるデータの公開、周知が必須だろう。データを語ることなく、安心を語ることなかれと強く思うこの頃だ。

神野正博(社会医療法人財団董仙会恵寿総合病院理事長)[安心安全]

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