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【識者の眼】「子どもの権利条約と小児科医『コルチャック先生』」石﨑優子

No.5088 (2021年10月30日発行) P.62

石﨑優子 (関西医科大学小児科学講座准教授)

登録日: 2021-10-12

最終更新日: 2021-10-12

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「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」は、子どもの基本的人権を保障するための条約であり、1989年第44回国連総会において採択、1990年発効された。18歳未満を「児童」と定義して、生存、発達、保護といった子どもの権利を尊重するために必要な項目を具体的に規定している。この条約に定められる権利は「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」の4つに分類され、子どもが紛争に巻き込まれたりして命が脅かされることなく、学んだり遊んだり、健やかに育ち、自由に活動することを保障している。

条約成立までの経緯として、1924年「ジュネーブ宣言」が国際連盟で、1959年「児童の権利に関する宣言」が国連総会で採択された。そして1978年ポーランドから国連人権委員会に「児童の権利に関する条約」の草案が提出され、1979年に委員会内に作業部会が設置、10年後の採択に至る。当時社会主義国であったポーランドが草案を提出した背景には、子どもの権利の尊重を訴えたユダヤ系ポーランド人の小児科医ヤヌシュ・コルチャックの存在が影響している。コルチャック先生は小児科医、児童文学作家、教育者であり、ワルシャワの孤児院院長となり、1942年に孤児院の子どもたちとともに強制収容所に消えた。そのコルチャック先生は19条からなる「子どもの権利大憲章」を提唱、基本的な権利は「子どもの死に対する権利」「今日という日に対する子どもの権利」「子どもがあるがままでいる権利」とする。

ここで、現代の日本に生きる私たちは「子どもの死に対する権利」とは何かの疑問がわくが、これは「春が三度訪れるか否かの子どもが若くして死ぬ権利」である。多くの子どもが感染症や貧困・劣悪な環境下で亡くなる時代に、小児科医として多くの子どもをみとった経験に基づいており、母親に愛されながらも幼くして死んでいく子どもの権利を述べている。1920年代の欧州では多くの子どもが3歳になる前にこの世を去り、一人の人間として認められていなかったことが類推される。100年を経て隔世の感がある今日、「子どもの権利条約」成立の背景に一人の小児科医の存在があったことを知って頂きたい。

石﨑優子(関西医科大学小児科学講座准教授)[子どもの権利]

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