No.5100 (2022年01月22日発行) P.61
西 智弘 (川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)
登録日: 2021-12-28
最終更新日: 2021-12-28
病棟にて、「患者が病状を受け入れているかどうか」で口論になることがしばしばある。
たとえば、肺に無数の転移があってトイレに行くたびにゼイゼイと荒い呼吸をする患者に、看護師は「もうオムツの中でしたらどうですか」と提案するも、患者は「私はまだそんなに悪くありません」と抵抗する。看護師は自身の提案が受け入れられないことに憤り「主治医からの説明が足りないのでは」と考える。そして主治医に対し「あの患者は病状の受け入れが悪いですね。もう一度先生から説明してください」と言うのだ。それに対し主治医は「患者が病状を受け入れられないのは当たり前。患者が受け入れられない、という事実を受け入れなければならないのは私たちのほうだ」と応ずる。「しかし……」と食い下がる看護師。あわや口論に……と思ったその時、やり取りを聞いていた別の看護師が「誰が受け入れるとか、受け入れないとかではなく、その病があるってことを感じさせないようなケアをすれば良いのではないですか?」と口を挟んできた。
「患者さんたちは、病気が進行するにつれて次第に様々な機能を失っていきますよね。私たち看護師は、理想的には『その失っている部分を失ったと気づかせないようなケア』ができたらいいなと思っているんです。仮に、オムツの中で便をする状況だとしましょうか。そこで本人が『恥』と感じていた部分を、『便が出て、良かったですね』という視点へとずらす……ということ。失われた機能を『まるで自分でやっているかのように』感じられるようなケアが看護の理想だと思っているんです。失われた部分を『失った』と気づかせない。そういうケアをすれば、本人は『恥ずかしい、惨めだ』ではなく、『便が出て、ああスッキリした!』としか思わないですよね」
主治医と病棟の看護師が「患者が病状を受け入れるか、それとも医療者が現実を受け入れるか」という二項対立で議論をしていたところに、その看護師は「受け入れるとか受け入れないとかではなく、失ったと感じさせないケアの在り方を考えませんか」と、一段上の構造を持ち出したのだ。看護の考え方、ケアの技術は緩和ケアにおいて欠かせない専門性だ。それを改めて認識できた出来事であった。
西 智弘(川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)[看護][ケア]