No.5133 (2022年09月10日発行) P.58
岩田健太郎 (神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)
登録日: 2022-08-29
最終更新日: 2022-08-29
仕事柄、医療事故関連の裁判で意見書を求められることが多い。原告から依頼を受けることもあるし、被告から依頼を受けることもある。
僕は意見書を書くときは、「誠実に書きます」と必ず申し上げている。だから、依頼者の意向や期待に沿わない意見書を書く場合もある。たとえば、「これは医療ミスではないか」という疑念から意見書を求められたとき、「これは医療ミスが原因での死亡とは考えません」と意見することがある。多くの場合依頼人はその意見書に納得する。彼らが欲しいのは(多くの場合)、金銭ではなく誠実な対応や納得のいく説明なのである。もちろん、医療ミスが原因と考えればそう書く。僕が医療者寄りに事実を捻じ曲げたりしないのは同業者ならよく知っていることだ。
個別のケースの場合、死亡原因の追究は、臨床診断プロセスによく似ている。診療録やデータを丁寧に検討し、患者に起きた「真実」にできるだけ近づこうとする。
しかし、公衆衛生における感染症の「死因」はそのような理念からつくられていないことが多い。特にパンデミックのときはなおさらだ。この場合、個々の患者の死亡の「原因」を裁判のときみたいに徹底追究することは困難だし、実際的ではない。むしろ同じ基準で公平に簡便に報告でき、そして他者と比較できることが肝心である。自治体ごとに、国家間ごとに、コロナ死亡報告の基準が大きく変わってしまえば、公衆衛生対策において最重要な「比較」の営為ができなくなってしまうのだ。「コロナによる死亡」を、医療裁判における「死因」のようには扱えないし、扱うべきでもない。
そこで悩ましいのが第7波だ。従来であればコロナ感染で入院した患者が死亡すれば、それは「コロナによる死亡」で理にかなった判断とできた。ところが、あまりに感染者が増えすぎた第7波ではまったく別の理由で入院した患者が、たまたま検査をするとコロナ感染も伴っていたりする。そういう患者がたとえば交通事故で亡くなった場合、それはコロナが原因で死亡したとは考えづらい。
しかし、上記の理由から現行の報告制度が一番合理的な報告ではある。また、大抵の患者の死はやはり「コロナによる死亡」なのである。だからありがちな陰謀論(コロナで死亡した人は実はいない、みたいな)に乗ってはならない。どんな方法にも瑕疵はあり、その瑕疵を理解し、それでもこの方法を取る理由を理解することこそが大事なのだ。
岩田健太郎(神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)[新型コロナウイルス感染症]