昨今、学校検診において上半身を露出することに対する批判の記事を散見する。「生徒の心の傷になった」とか、「上半身を露出させる必要があるのか?」といった疑問の声が聞かれる。子どもの個性や人権を重んじるといった最近の風潮の一環なのであろう。
自分が子どもの頃は「こういうものだ」と思い、言われた通りにし、何の疑問も持たなかった。中学生になり、女子校に入学したために、学校検診の医師も女性が来るようになり、うれしかったことは覚えているが……。
筆者の上の娘が高校2年生になるが、先日、学校の修学旅行に行ってきた。宿泊したホテルは大浴場があり、基本、クラスによって決められた時間に大浴場で入浴するよう言われていたそうである。各部屋にユニットバスはついていたらしいが、皆が一斉に使用すると水量のキャパシティがないとのことで、基本、部屋のユニットバスは使用禁止だったそうである。生理中の生徒も、生理中の生徒用の時間が決まっていたそうである。
しかし、決まりを守らずに大浴場には行かず、部屋のユニットバスを使用した生徒がかなりいたそうなのである。温泉や銭湯は、ある意味日常を逸脱した裸のつき合いがまたよいものだと思っていたが、今の子どもにはそれは通用しないのだろうか。海外の観光客の中には、日本の温泉や銭湯を経験したくて来日するといった人もいるという話なのに……。
実際、学校検診において、服の上から聴診をして、心臓の異常がわかるだろうか? 多くの場合、心音の異常は幼児期にわかることが多いが、それでも、油断はできない。服の上からの聴診どころか、聴診を省略しようという動きさえある。こうなっては、学校検診の存在意義さえ問われる事態である。各家庭で子どもの検診のために近医を受診してくれるのなら、それでもよいが、手間であるし、おそらく、嫌がる子どもをわざわざ連れては行かないであろう。むしろ、このような各家庭での対応がままならない子どもを拾い上げることに学校検診の意義はある。
そう考えると、単に上半身を露出することが嫌だという理由で学校検診がトラウマになるという子どもと、その親自体が学校検診を軽んじているのではないだろうか? 検診も重要な医療である。その重要な医療を担当する医師の側から見ても真剣勝負である。これをいわば、舐めているから、そのような発言になるのではないだろうか。検診の重要性、医療を受けることの重要性は幼少期から、親や保育園、教育施設を通じて教育すべきものである。思春期になり、羞恥心の塊になるより以前に、上半身を露出すること云々と比較しても、自分の健康を守るための行動がいかに重いものであるかを十分に教育する必要があると思う。
野村幸世(星薬科大学医療薬学教授)[羞恥心][医療を受けることの重要性]