新型コロナウイルス禍以前には、米国や欧州の国際学会によく顔を出していた。長時間の飛行機内では映画三昧になったりするが、偶然、テレビ番組の「ガイアの夜明け」が目にとまり、覗いたことがある。内容は、広島県のあるスーパーが精神科医の監修のもとに開発・導入した「類人猿分類」がテーマで、大変興味深いものだった。
スーパーの職員はそれぞれ、自分が当てはまるサルの種類の絵がついた名札をつけている。職員同士の理解、お客様に対するある種の開示など、人間関係を円滑にするような効果がありそうだった。
ざっくりいうと、個人の志向を尋ねる簡単な質問によって類人猿のタイプ別分類が行われる。たとえば、筆者は感情を出すほうではなく、どちらかといえば物事を追求するタイプであるので、オランウータンとなるらしい。仮に、自分が感情を表に出すタイプならチンパンジー、安定・安心を志向し感情を表に出すならばボノボ、表に出さないならばゴリラだ。オランウータンは一匹狼的でチンパンジーはお山の大将、ゴリラは縁の下の力持ち、ボノボはチームの雰囲気をつくる。簡単な診断で結構その特徴が自分にグサグサ刺さるようにあたっているのでびっくりする。
産業医をやっている大学病院の新人看護師の研修にも使わせてもらっているのだが、おおむね楽しんでもらって好評だ。この研修をすると、個人のキャラや価値観の違いがよく見える。グループワークをさせてみると、同じサル同士なら共感することが多く、異なるサルでは考えが違ってびっくりした、というような参加者の感想が出てくる。
医師の働き方改革に関わっていると、価値観の問題に行き着く。たとえば、医師の労働時間制限について、時間に関わりなく自分の思う通り働きたいAタイプと、所定時間内は医師として働くもののプライベートは別の世界で別の立場で生きたいというBタイプがあるとする。Aタイプは仕事が生きがいであるし、必要があれば長時間労働もいとわない。Bタイプはプライベートの時間が減るので長時間労働がストレスになりやすい。したがって、Aタイプには、労働時間制限は多少迷惑だし、Bタイプには歯止めができてよかった、となる。
実は、医師同士の価値観はますます多様化し、しかも、医師1人のうちでも仕事によって意識がAとBの両方のタイプに揺れたりするので現実は複雑だ。今の医師の働き方改革の一律の労働時間の法規制は数字合わせで決まったようなところが否めない。はたして、どれだけそれが現実に適合したものであり、妥当な「落としどころ」になっているのか。
そもそも価値観はどうやって個人に形成されるか。成長して働く人になれば、既に一定の価値観が形成されている。よくある話、「我々の世代では当然だったのに、今の若い人たちは……」という嘆きが病院でも聞こえてくる。世代間のギャップといえばそれまでだが、いつの時代も変わらないジレンマなのかもしれない。
だが、よく考えると、嘆く古株の医者が若い人と価値観を共有することは無理かといえば、一概にそうでもない。学習や経験など、後天的要素が価値観の変化をもたらすこともある。AとBのタイプがあるし、すべて個々に類人猿の異なるキャラクターを有する医師たちでもあり、価値観や志向が様々だ。どちらに向かって進むべきか、行政の難しいかじ取りであることは理解できる。所詮、空想に似たレベルかもしれないし、抽象的すぎて恐縮だが、あまり偏りすぎず、しかし中途半端でもない、あらたな価値観を形成しそれを多数が共有できるような状態がよいのだろうなと思う。
黒澤 一(東北大学環境・安全推進センター教授)[価値観][労働時間制限][働き方改革]