No.5141 (2022年11月05日発行) P.59
谷口 恭 (太融寺町谷口医院院長)
登録日: 2022-10-25
最終更新日: 2022-10-25
「識者」と呼ばれるには力不足だが、都心部の診療所から総合診療医のホンネを述べたい。今回が全12回の第10回目。
本連載の第4回(No.5117)で述べたように、開業以来(正確には開業前からも)僕は「検査も薬も最小限」をポリシーとしている。choosing wiselyという概念が登場してからは患者にもこの方針を伝え、受診回数をできるだけ減らすことに努めている。2022年4月から開始されたリフィル処方は直ちに導入し、中には「3カ月処方の3回リフィル」、つまり再診の頻度を9カ月に1度まで減らしたケースもある。
受診回数、検査、薬、そして患者が費やす時間と費用を最小限にすべきだ、というこの考え、間違っていないと思うのだが、一部の医師からは評判が良くない。「それでは運営ができない」と言われるのだ。だがそれは正しいだろうか。
「運営ができない」を会計学的に翻訳すれば「収益<支出」となる。僕が主張している「患者の費用負担を最小限に」を実行すれば「収益」は低くなるかもしれないが、「支出」が収益を下回っていれば会計学的には「運営できる」のだ。
では最大の「支出」とは何か。それは医師の人件費に他ならない。「自分自身が貧しくても患者に尽くせれば幸せ」などと言うつもりはない。医師にも家族があり自身の老後の心配もしなければならない。だが、現状の医師の収入は社会的にみて適正と呼べるだろうか。僕の周囲の話で言えば、既に世間は相当しらけている。「コロナで医師が偽善者と分かった」と言う者もいるほどだ。
医師の求人情報は誰もがネットで閲覧できる。新型コロナウイルスのワクチン接種のアルバイトが「日当20万円」、転職サイトには「年収3000万円」といった文字が並んでいることはもはや周知の事実だ。「それは一部であって低収入の医師も少なくない」という声もあるだろうが、そうなのであればそれを示さなければ国民の理解が得られないのではないだろうか。
もっとも、すべての医師が年収や資産を公開することは現実的ではない。僕は以前から「医師の存在は“公僕”であり、収入の上限と下限が決められるべきだ」と言い続けている。国民が毎月天引きされている保険料と税金で我々の報酬が賄われているのだから医師は公人の一種だ。ならば、年収の上限と下限を公務員のそれらに合わせるべきではないだろうか。
そもそも一部の医学生のように、志望の本音が「高給取りをめざして」では悲しすぎないか。これは私見だけれど。
谷口 恭(太融寺町谷口医院院長)[医師の人件費]