No.5155 (2023年02月11日発行) P.67
西 智弘 (川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)
登録日: 2023-01-26
最終更新日: 2023-01-26
映画『すずめの戸締り』の興行が好調だそうだ。公開から45日目には100億円を超え、この原稿を執筆している1月半ば時点で約1000万人が映画館に足を運んだ。筆者も映画館で観たが、いろいろな意味で涙なくては見られない作品であった。
ところで、コミュニケーションにも“戸締まり”があることをご存知だろうか。そして、多くの医療者はその“戸締まり”を忘れてしまっていることを。
患者さんとのコミュニケーションにおいて、心の扉が開く瞬間がある。あるいは、医療者が意図的にその扉を開くこともある。「今日はどうされましたか」だけでも扉は開く。そして、そこから流れ出てくる感情は、人によっては自分自身を焼いてしまう炎であったりする。病気によって失ってしまった事、苦しかった検査や治療の記憶、大切な人たちともうすぐ別れなければならない悲しみ、そして「自分はもうこの世に必要とされない人間なんじゃないか」という絶望……。
優しい医療者は、扉からあふれ出てきたそれら苦しみを、「うんうん」と相づちを打ちながら、時にオウム返しに言葉を繰り返して、「教科書通りに」コミュニケーションを取るだろう。その上手なコミュニケーションのせいで、患者さんの扉はどんどんと開いていき、苦しみは際限なく吐き出されていく。もちろんその「吐き出し」そのもので、患者さんは楽にはなるのかもしれない。
しかしその最後、患者さんが診察室を出ようとしたとき、その心にきちんと“戸締まり”をする医療者がどれくらいいるだろう。悲しみに浸かった診察室という非日常から、患者さんその人の日常へと戻すための“戸締まり”。それを忘れると、患者さんは開きっぱなしの扉を抱えて、家に戻ってもどろどろとその悲しみにとらわれたまま苦しむかもしれない。その結果、自分をこの世から消してしまいたい衝動にかられるリスクもゼロではないのだ。
「今日はこれからどちらかに寄って帰られるんですか」「次回の外来は〇月〇日にしていますからね」「今日は外が寒いですから、暖かくして帰ってくださいね」など。少し先の未来の予定や、現実の天気の話。そういった言葉を少し挟むことが非日常への“戸締まり”となり、患者さんは自然に“自らの日常”へ帰っていくことができる。
これはまた、病棟でも応用は可能で、「また明日会いに来ますね」「今日はお風呂の日ですね」「夕食何が出るか楽しみですね」「夜はゆっくり休めますように」など、その場での日常に患者さんを戻していく。
医療者は、心の扉を開くだけ開いておいて、放置している例が散見される。コミュニケーションにも“戸締まり”を忘れずに。
監修:福島沙紀(臨床心理士・公認心理師)
西 智弘(川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)[医師・患者関係]