先日、久しぶりに現地開催のみの学会総会に参加した。海外からの先生もいらしていて旧交を温めることができ、やはり現地開催の良さを感じることができた。同時に、子育て中の医師などが参加できない状況がまた蔓延してしまうのではないか、と危惧する思いもあった。
この学会ではパーティーもすべてコロナ以前と同様の形式が取られた。その席で、以前、お世話になったことがあるこの業界の重鎮とも言える先輩とお話をする機会があった。その先生が言われることには、「医師の働き方改革」は働く時間を制限し、それにより収入も制限される制度で、結局のところ医師の収入を減らそうという制度であり、全くいいものではない、というものであった。これにより医師という職業そのものの人気がなくなるのではないか、ともおっしゃっていた。
この意見に私が反対か、というとそんなことはない。むしろ、まったくその通りと思う。最初に医師の働き方改革が叫ばれたときに、私が最も危惧したことは収入の維持である。医師の数を増やす施策がとられたときも同様に危惧したことである。ただ、このような私たち医師にとって「よろしくない」面も持つ「医師の働き方改革」がなぜ施行されることになったかは一考の余地がある。医師が働きすぎているため、医療の質を担保するために施行された、という面ばかりを捉えると被害者的な気持ちにもなるが、医師が真面目に家事、育児をやらなかったから、といえば一種punishmentとして仕方がないともとらえられる。
私もかつて家庭を持つより大分以前の若い頃、仕事に誇りを持つと同時に、「重要な仕事をしていて、かつ仕事が死ぬほど忙しいので、その他の多少のことは許される」という傲慢な気持ちがあったことがある。まだ研修医の頃、病院の宿舎に住まわせてもらっていたが、宿舎にはほとんど帰らずICUに寝泊まりする生活をしていた。
その際、たまに帰った宿舎でゴミの分別をせずに捨てたのを、ゴミ捨て場の管理をしていた中年女性たちにこっぴどく叱られたことを今も覚えている。この時の私の気持ちは、「こんなに働いているのに、なぜゴミの分別くらいで怒られなくてはならないんだ」というまったく反省のないものであった。
どれほど重要な仕事をしていて、それが忙しくても、人間として基本的なルールは守らなくてはいけないと今は反省とともに思っている。ルールだけではなく、健康な成人であれば、社会的に働くと同時に家事を自分で行うことは当然の義務であると思う。医師には、ぜひ、仕事だけではなく家事、育児にもその能力を発揮してほしい。
野村幸世(東京大学大学院医学系研究科消化管外科学分野准教授)[医師と家事・育児]