製薬業界の社会人に抗がん剤の論文を書かせると、「全生存期間(overall survival:OS)は抗がん剤評価のゴールドスタンダードである」という決まり文句が必ずと言っていいほど登場する。イライラする。そもそもゴールドスタンダードの歴史的意味を知ってるのかという根本問題にはとりあえず目をつぶる。
その手の論文には大抵、「現在『患者中心の医療』が求められている」といった類の決まり文句も登場する。性格が悪い私は「患者中心の医療」「patient reported outcome」といった言葉を目にするたびに、「過去数十年、あんたらにとって『患者』は何だったんだよ……」と小さな声で毒づいてしまうのである。
「なぜOSがゴールドスタンダードなの?」と彼らに尋ねると、口をそろえて同じ答えが返ってくる。今流行のChatGPTも同じ答えを返してくるのが笑える。
第一に、OSは最も「客観的」な評価指標なのだそうである。「客観的」? それってどういう意味での客観性? 画像のがんの大きさを物差しで単純に測る方法だって十分に「客観的」なんですけど。哲学の主観 vs. 客観の図式やフッサールの現象論を語っているようにも見えないし。ちなみにChatGPTに「ん? あなたのいう『客観的』の意味を説明してくれる?」と尋ねたら、「申し訳ありません。正しい言葉ではありませんでした」との返事。AIは賢いから撤退も速い。
次に返ってくる答えが「OSは最も『信頼性』が高い」。「信頼性」って言われても訳がわからない。皆さん一体何についての信頼を考えているのだろう。確かにOSは人の生死の帰結(までの時間)をきちんと観察する評価項目である。でもその分、評価対象の薬物治療から空間・時間的に離れた要因(フォローアップ治療、終末期の環境、患者意思など)の影響を当然に受ける。そうしたトレードオフの影響はその信頼の対象とどう関係するのだろうか。皆が「信頼性」なる語をやたらと用いるのは、「有効性(薬が効く)」にまったく定義がない現状への不安感の表れにも見える(またか、とお思いでしょうが私の持論です)。
「OSがゴールドスタンダード」という表現は、現時点での抗がん剤が不幸にして抱える欠陥(副作用等)と評価指標(画像診断技術等)の限界から正当化されているに過ぎない。将来、大した副作用なくがん細胞のみを退治する薬が登場し、また、画像診断技術が進化して1個1個のがん細胞の生死を検出できる時代が到来したら、効率重視で気が短い医療専門家やお役人が「OSがゴールドスタンダード」なんて悠長なことをいつまでも口にしているわけがない(少し偏見が入っているかも。すみません)。
何を言っているのか本当のところわからない文章が、国会答弁などではなく教科書や学術論文にあふれているのが悲しい。それを鵜呑みにして撒き散らす業界のプロたちも情けない。
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[OS][客観性][信頼性]