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志賀直哉の『暗夜行路』─その鬱病的な特徴[エッセイ]

No.5185 (2023年09月09日発行) P.66

高橋正雄 (筑波大学名誉教授)

登録日: 2023-09-10

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志賀直哉(1883~1971)の作品にはしばしば鬱病的な症状を有する人物が登場するため1)~3)、本論では、代表作たる『暗夜行路』を中心に、その前後に直哉が発表した作品の鬱病的な特徴について検討を加える。

1. 『暗夜行路』

1921(大正10)年、直哉が38歳のときに発表した『暗夜行路』前篇には、主人公・時任謙作の鬱病を思わせる抑鬱的な気分変調が描かれている。

尾道で1人暮らしを始めてからの謙作は、最初のうちはすべてが順調だったものの、ひと月もすると彼の生活は少しずつ乱れてきた。謙作は「何十日という間、朝から晩まで、たえず陰気くさい同じ顔をして」「健康も、気分も、そして仕事も、だんだんにおもしろくなくなった」のである。「第一に肩がむやみと凝った。頭が重く、首筋を握るとジキジキと気持ちの悪い音がした。食欲も衰えたし、睡眠も十分にできなくなった。うつらうつらと何かしら不快な夢を見続けた」。

しかも、夜間は「妙に気分だけがさえざえと異常の興奮を覚えることがかえって多くなった」のに対して、「昼間はちょうど反対に、彼はまったく惨めな気持ちに追い詰められ」「物憂く、眠く、目は充血して、まるで元気がなくなった」ともいうから、当時の謙作には1日のうちに症状が変化する日内変動もあったものと思われる。

そのため彼は仕事を中断して旅に出るのだが、旅先でも「ほとんど食欲がなかった」「彼の気持ちは変に沈んで行った。それは旅愁というような淡い感じのものではなく、もっと暗い重苦しい気持ちだった」「暗いさびしい気持ちがまわりから締めつけて来る。彼はそれにおさえられ、身動きもならず、ただじっとしているよりしかたない気持ちだった」など、彼の状態は旅に出ても変化していない。

すなわち、このときの謙作には、抑鬱気分をはじめ、頭重感や肩凝り、食欲低下や熟眠障害、日内変動などの症状があり、しかも、これらの症状がこれといった誘因もなく出現し、状況の変化にも反応しないなどの特徴もみられるため、当時の謙作には鬱病的な特徴が顕著なことがわかる。

謙作にはこの後、自分が祖父と母親の間に生まれた不義の子であることを知ったり、生後間もない子を丹毒で失ったりするなど次々に不幸が襲いかかるのだが、彼が上記のような鬱病的な状態に陥るのはそれ以前のことだから、心因性の鬱状態とも趣を異にするのである。

実際、1937(昭和12)年に発表された『暗夜行路』後篇第4には、「謙作は毎年春の終わりから夏の初めにかけきっと頭を悪くした。ことに梅雨期のじめじめした空気には打ち勝てず、肉体では半病人のように弱る一方、気持ちだけは変にいらいらして、自分で自分をどうにも持ち扱うことが多かった」といった季節性気分障害を思わせる特徴も記されるため、直哉が、謙作の鬱病の背後に生理的・身体的な要因を想定していたことは明らかである。

以上が、『暗夜行路』の主人公・時任謙作にみられる鬱病的な特徴である。そこには、日常的な憂鬱とは異なる病としての鬱病の特徴がみられるため、『暗夜行路』には優れた鬱文学としての側面があることがわかるが、謙作はあくまでも小説上の人物であって、直哉その人ではない。したがって、これだけで直ちに志賀直哉鬱病説を唱えることはできないにしても、こうした特徴は『暗夜行路』の前後に書かれた作品にも顕著である。

2. 『暗夜行路』前後の作品

1911(明治44)年に発表された『濁った頭』は、直哉自身が「神経衰弱の経験から作り上げた小説」と語る作品だが、主人公の津田は「頭は常に重くて、物を言うにも言いたい事が、すぐ口に出て来ず、それより先に癇癪が起こってしまう」と、鬱病的な症状を語っている。

また、翌1912(大正元)年に発表された自伝的な作品『大津順吉』でも、直哉の分身的な主人公は、次のように自らの鬱病的な状態を語っている。「私は朝から気分が悪かった。体も妙に大儀で、午後一寸学校まで行って、帰ると、もう坐っているのもつらい程に疲れてしまった」「翌朝も工合の悪い事は同じだった。私は朝の食事もせずに部屋にとじ籠って、前晩の事などを繰り返し繰り返し考えていた」。

しかも、『大津順吉』には、「春の末から初夏へかけて私は毎年少しづつ頭を悪くする。そうなると泥水に浮び上った錦魚の心持であった。それに焦々した気分の加わるだけが錦魚よりも苦しいと私は考えていた」「湿気の烈しい、うっとうしい気候から来る不機嫌には私は中々打ち克てなかった」と、『暗夜行路』同様、季節性気分障害を思わせる記述もみられるため、『大津順吉』は─その原因に日光ではなく湿気の多い気候を挙げているという問題はあるにせよ─わが国では最も早期に季節性気分障害を記述した作品ではないかと思われる。

さらには、1914(大正3)年に発表された『児を盗む話』の主人公も、「頭が重く肩が凝って何となく不機嫌になって来た」「熟睡という事が全で出来なくなった」「肩の凝りは眠っても、運動をしても、按摩をしても、膏薬をはっても、酒を飲んでも、直らなかった」といった『暗夜行路』の謙作と同じような状態が2週間以上続いているほか、「眼が覚めると気持の悪い精神の疲労を感じながら暫くはぼんやりとして深い呼吸を続けている」と、鬱病特有の目覚めの不快感も顕著である。

その他、1919(大正8)年の『断片』や1923(大正12)年の『廿代一面』にもそれぞれ、「どうしてこう心が沈むのだろう。張りもはずみもない」、「頭が重く、身体がだるく、気分が苛々として、もうそこら一帯、濁った泥水で、自身はその中に浮び上った錦魚のような気持」「夜は12時から先は大変元気になる」とあるなど、直哉は繰り返し鬱病的な主人公を描いている。しかもその多くは、実際に経験した者でなければ描けないような臨床的な正確さで描かれているため、直哉自身の体験を反映したものと考えるのが自然ではあるまいか?


今回の試みは、あくまでも作品の分析を通しての推論であるため当然そこには一定の限界があるにしても、大正期を中心に発表された志賀文学の鬱病的な傾向を考えるならば、志賀直哉とその作品については季節性気分障害的な要素を含む鬱病という観点からも見直す必要があるのではないかと思われる。

【文献】

1) 高橋正雄:聖マリアンナ医研誌. 2012:12;69-74.

2) 高橋正雄:聖マリアンナ医研誌. 2020:20;60-5.

3) 高橋正雄:聖マリアンナ医研誌. 2021:21;51-6.

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