二十余年前,ラグビーによる眼の怪我を契機に眼科医となった私は、順天堂大学眼科入局と同時にスポーツと視覚の研究を始めた。そして、当時斯界で最先端と言われていた、米国のパシフィック大学に留学した。
コンピュータを駆使するような研究をイメージしていたが、研究室には木を切り出して作ったボードや布製のお手玉など、手作りの道具ばかり。最先端というワードと実際の実験環境とのギャップに当惑した。当時、米国では視覚訓練による競技成績向上を目指し、マルチタスクが盛んに行われていた。写真(左)は私が被験者になり、不安定なボードの上に乗りながら、複数の視覚タスクを行っている様子である。
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