死はもはやそれ自体未来がなく、来世をたくみに管理する手段ではなくなっていた。
死を忘れ去るように都市は全力をあげ、片隅に片づけ、遠ざけて否定してしまう。
『所有の歴史』ジャック・アタリ著、山内 昶訳
病理解剖(以下、剖検)が年々世界的に減少し、今日の医療制度の中で存続の危機に陥っていると危惧されています。深山正久は、歴史的、世界的な観点から剖検の意義と日本における問題点を詳しく論じています1)。
一介の病理医である私はそのような能力も資格もないので、個人的な比較的自由な立場から剖検の意義や問題点を振り返ってみようと思いました。なぜなら私は、剖検に関する第10回信濃川・浜名湖国際病理セミナーの開催、長年携わっている剖検や臨床病理検討会(clinico-pathological conference:CPC)の経験などから、剖検が現代の医療に必要であり、未来の医療にも有用だろうと思うからです2)。最後に、剖検を未来につなげるための小さな私案をまとめたいと思います。
剖検率減少の大きな原因のひとつとして、数十年前より急速な進歩を遂げた臨床医学が剖検を古いものとみなし、その意義を疑問視していることが挙げられます。このような状況で、剖検が適切に医療の検証を行い、その質の管理ができるのか、という疑いが生じるのは当然かもしれません。
しかし、前述のセミナーに招いたHolger Mochは、臨床診断と剖検診断の大きな食い違い(以下、差異)の検討による医療の質の管理を提示しました。まず、差異は死因とも関係します。そして差異は、患者の治療、予後や生存に違いをもたらすと推測される違い(class Ⅰ)、および、患者の治療に違いをもたらす可能性はあるが、予後や生存に影響はないと思われる違い(class Ⅱ)、の2つに分けられます3)4)。なお、class ⅠとⅡの判定は病理医にはできないので臨床医が行います。
彼らの検討の結果、1972~2002年の10年ごとに時代が下るにつれて、class ⅠとⅡそれぞれの差異の割合(以下、差異率)が明らかに縮小していました5)。その原因は臨床の診断技術の進歩と推測され、あまり公言されない臨床の自信の裏づけともなります。残念ながら、このような検討は高い剖検率(たとえば70%以上)が維持・継続されている施設でないと行うことが難しいようです。そのため、これまでに差異率の縮小を示した報告はこの施設以外になく、他施設からの報告では差異率の縮小傾向は認められませんでした。
一方、Shojania KGらは、剖検率の低さと差異率の高さには関連があると考えました。これは剖検の選択バイアスと名づけられ、臨床的に難しいと判断する症例だけを選んで剖検する結果、見かけ上の差異率が実際より大きくなるのです。そこで彼らは、剖検率・剖検数・差異率の記載がある50編あまりの報告に統計学的補正を加え、差異率を算出しました。すると1959~99年にかけて緩やかながら縮小していることが示されました6)。このメタアナリシスの結果から、臨床診断は1960年から徐々にですが確実に精度を向上させたようです。このような検討を行うには、剖検率や差異率が記載された相当数の報告が必要になります。
東京大学冲中内科で1946~63年に行われた、総数1000例、剖検率86.2%の剖検における診断不一致率が公表されています1)。その値は14.2%で、「誤診率」として報告され、当時大きな話題となりました。しかし、当時はこの値に対し比較する基準がないこともあり、東大でもこんなにあるのか、という驚きの声が聞かれたようです。ちなみに、チューリッヒの大学病院では、1972年の差異率が30%でした5)。ベルリンのシャリテ病院では1988年に差異率が25.8%あり7)、その後、5年ごとに漸減し、2008年では10.7%になっています。
診断不一致の基準が異なるので単純な比較はできませんが、当時の冲中内科の診断不一致率は決して大きな値ではなく、他の伝統ある大学病院の当時のそれと比べて低いとも考えられます。高い剖検率を保ちながら継続的に検証を行う病院が日本にあれば、医療にとって価値のある情報が提供されたのでは、と思うと残念です。
確かに剖検数は非常に減少していますが、剖検に携わる関係者および関連学会などの努力により剖検の全国集計が長年にわたり続けられています。しかし、日本には明確な差異の記載法がなく、差異に関する文献報告も少ないことが惜しまれます。臨床を槍玉に挙げかねないやり方は、日本の文化に合わないのかもしれません。しかし、差異は臨床診断の間違いを意味するものでは決してありません。class ⅠやⅡの差異を分類するのを臨床医が行うことは、既に述べた通りです。なお、剖検が臨床診断や死因のゴールドスタンダードなどと言われますが、アルゴリズムが異なる2つの診断の比較など、簡単にはできないはずです。
この文脈に沿う話として、欧米の文献でも以下のような指摘があります。すなわち、難しい限られた状況において臨床的にとらえられなかった診断(missed diagnosis)が、どの程度まで誤り(error)と言えるのか不確実である、という指摘です5)。さらに深山は、誤診率、不一致率という言葉がこれまで、医師が自らの医療を真摯に振り返り、将来の診療に活かすための反省、自戒の意味を込め厳しい基準で用いられてきた、と指摘しています1)。要は、class ⅠやⅡに含まれる疾患の検討を通して医療の問題点を探り、差異率の時代的推移をみながら、過去から現代、そして未来の医療の流れを模索することなのだろうと思います。
現在は剖検が病理医の専権事項のようになっていますが、剖検の長い歴史において分業体制などはなく、臨床医がずっとこれに関わってきました。英国では1960年頃まで剖検が死亡者の家や診療所で続いたそうです2)。日本では明治期にその分業体制が確立しつつあったドイツ医学を輸入しましたが、病理医が不在の病院では臨床医が剖検を行っていたようです。このように、数十年前までは臨床医も病理医もなく、一緒になって医療の検証を行っていました。この理由は、巨大産業としての医療ができあがる直前まで、剖検は臨床医(時には研究者)が頼りにした唯一の科学であったからだろうと思います。これに関しては後でさらに触れようと思います。
高齢化社会の出現も、剖検の減少の大きな要因のひとつと考えられます。厚生労働省人口動態統計によれば、1950年から寿命の延伸により65歳以上の人口が毎年増加し、1985年には総人口の10%を超えました。全死亡数に占める75歳以上の割合は、1985年49.8%、1990年54.3%、2000年57.4%、2010年69.0%、2020年76.5%です8)。これと逆相関するように1985年にピーク(4万247例)だった剖検例数が減少に転じます。その後は年ごとに減少し、2019年に1万19例、2020年には7717例〔この急激な減少は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が原因〕になります9)。一方、高齢者の治療にあたる臨床側からみれば、診断に難渋する症例や予期しない突然死亡例などを除いて、ご遺族に夜遅く解剖の承諾をあえて依頼しないことは納得できます。ご遺族の側でも、長生きして治療を十分に受けて亡くなったのだから、これ以上ご遺体に傷をつけることはしてほしくない、というのも人情だと思います。
他方、高齢者だから剖検を依頼しなくてよいとは限らない事例もいくつかあります。2022年に人体解剖実習前のご遺体からプリオン病が発見されました10)。この症例はおそらく認知症としてスルーしたのではないかと思われます。孤発型プリオン病は稀とはいえ、剖検を含めた監視体制が必要です。アミロイドーシスは老化と関係があると考えられ、心不全や不整脈の他に多彩な症状を呈する診断の難しい疾患です。組織で診断ができるので、臨床的に確定できなかった症例は積極的に剖検をお願いすることも大切でしょう。腎臓や肝臓への腫瘍の浸潤、特に、血液リンパ系腫瘍のそれは画像でのキャッチが難しいようです。また、感染症も急性腎不全や肝不全を起こす診断の難しい疾患です。中枢神経系でも遠隔臓器腫瘍による多彩な傍腫瘍症候群が起こることがあります。
肺炎や老衰は近頃、日本人の死因の上位を占める疾患です。肺炎は重要な診断の差異(class ⅠやⅡ)に含まれることもあるので、慎重な診断が求められます。老衰は定義や分類が難しく、病気か否かの議論もあります。ICD-11では老衰を“加齢に伴う本来そなわる能力の衰え(aging associated decline in intrinsic capacity)”としています。同義語はsenility(老衰)NOS、senile state、senile dysfunctionなどで、我々が考える病気とはどうも一味違います11)。WHOは senilityをold ageに変更するつもりでしたが、利害関係者から変更の取り消しを求める圧力があったようです。その詳しい背景はともかく、老衰に対する科学的情報を集積するためには、継続的に剖検を行うことが重要です12)。COVID-19で高齢者の医療を受ける権利が脅かされたようなことが、高齢者の剖検においてあってはなりません。
COVID-19のような大規模感染症は歴史の中でたびたび起こったようです。13世紀にはイタリア・クレモナで感染症の剖検、フローレンスやナポリで黒死病の剖検が記録に残されています13)。18世紀イタリアではモルガーニが『病気の座と原因』で大葉性肺炎の正確な記述(肺の肝変化)をしました13)。フランスではベールとラエンネックが結核の肺病理学に大きな貢献をしています14)。19世紀には顕微鏡の改良により細胞病理学、その後に細菌学、そして免疫学が勃興し、感染症は剖検の主要な対象領域となりました。20世紀前半に大流行したスペイン風邪の剖検記録とCO VID-19の剖検例とを比較した報告もあります15)。大規模感染症についてはできるだけ多数の亡くなった人々の剖検記録を残すことが、次世代のためにも必須であると考えられます16)。COVID-19の犠牲になられた方々がご遺族とのお別れもできず火葬場に送られるのをみて、私はやるせない気持ちを味わった記憶があります。
パドバ大学教授でモルガーニの友人であるラマッチーニは、『働く人々の病気』の著者で産業医学の父と呼ばれ、「医師は必ず患者の職業を聞くべきだ」と提案しました13)。ヒポクラテスの時代からあった抗夫病は、現在でも多数の剖検例がアフリカなどにあります。初めての石綿肺の剖検は前世紀初頭になされました。私どもはこの地域初の興味深い石綿症例を報告し、過去の剖検肺での石綿曝露の調査を行いました17)。
公害病である水俣病やイタイイタイ病などの病態の全容解明に剖検が果たした役割は大きかったと思います18)19)。私たちを取り巻く自然や社会環境、そして産業は時代とともにどんどん変化しています。このような環境や産業がもたらす疾患は、日常診療だけでとらえることは必ずしも容易ではないと感じます。あまりよい表現ではないかもしれませんが、剖検が炭鉱のカナリアの役割を果たす場合が時にはあるかもしれません。
剖検ではご遺体の外表も観察しますが、四肢の深部組織の病変、たとえば、骨折などの判定には死亡時画像診断のほうが有用です。剖検は内臓の観察が優れています。臓器の形、大きさ、色調、硬さ、重量、1~2mm以上の病巣などを肉眼でじっくり時間をかけて観察します。
正常の成人肺重量をご存じでしょうか。組織や臓器は顕微鏡標本にしての観察も行います。必要ならば特定の病変組織や異常細胞を、顕微鏡で確認しながらゲノム検査を行うこともできます。こうして得られる情報はかなり精度が高いと思います。なお、臓器の変化は臨床情報をふまえた検索が基本ですが、それから逸脱するような変化がみつかることもあります。剖検の基本的なやり方や観察法に関して良いガイドブックがありますので、興味のある方はご一読下さい20)。
このような観察の後、臨床医にも確認して最終的に剖検報告を作成します。この内容はご遺族にお伝えする病の個別性の記録であり、次世代に残す病の歴史的な記録でもあるため、可能な限り詳細な変化をわかりやすく報告書に残すべきです。
剖検を許可して頂いたご遺族には、何らかのかたちで説明を行わなければいけません。報告書の送付だけでよいときもありますが、ご遺族に納得、安心をしてもらうために、要望があれば病理医自らも直接説明に加わり、質問に応えることが重要です。剖検報告ができるだけ早くご遺族に届くことも重要です。私は報告の提出はできれば1カ月以内とし、難解例はコンサルトも含めて2カ月以内に終了するよう心がけています。この姿勢は決して例外的ではなく、第一報を剖検終了後直ちに行い、最終報告は1カ月以内とするところもあります21)。報告の期限に関するコンセンサスは必要であると考えます。
日本内科学会のCPCの定義は、「その症例の診療に関与した臨床医と病理解剖(原文)に関与した病理医を中心として、剖検例の肉眼的、顕微鏡的病理所見と臨床所見との関連について双方の立場から意見交換をし、詳細な病態および死因の解明に向けて検討を行うものである」とあります(傍線筆者)。簡潔なわかりやすい定義です。しかし、日本人は立場の違うものが一緒になり意見交換しあうことが不得手なようです。私がたまたま聞いた話では、臨床医の話が剖検台とCPCとで一致しないことがよくあるようです。
CPCの目的を本来とは違ったとらえ方をしている臨床医がいる印象は、私にもあります。また、一部の研修医は臨床のプレゼンで平然と剖検診断を臨床診断に入れるそうです。若い医師にはもっと適切な教育がなされるべきだと思います。このような状況の中、新しい内科専門医プログラムが立案され、新専門医制度への移行に伴い個々の病院における年間剖検数やCPCの開催数の縛りがとられたことは大変に心配です。
坂井建雄は『図説 医学の歴史』で、西洋医学のみが高度な現代医学を生み出すことができた理由を考察しています。そして、古代ギリシャ・ローマ時代に始まった解剖学が、人体を探求する唯一の科学として歴史的に継続し、19世紀を経て現代の高度な医学を生む基礎となった、と述べています14)。解剖と剖検は歴史的にみれば不可分な領域であったはずです。剖検をこのようにみるとき、高度医療の誕生直前まで医師が頼りにした唯一の科学であったと言っても過言ではないでしょう。病理分野だけをみれば、顕微鏡技術の進展により19世紀には細胞病理学、組織病理学、20世紀には免疫学や分子生物学の発展により免疫組織化学、分子病理学が生まれます。現代の剖検は、人体と病気を自分の目でみる科学の上に新しい科学が多層に積み重なっているとも言えます。
私はここまで現代医療における剖検の意義を具体的に考えてきました。これらの中で最初に議論したのは医療の検証でした。ところで、日本の診療報酬にはいくつかの問題点があり、病院、特に入院部門、高次医療およびチーム医療に対する評価が低いあるいは弱いと同時に、「医療の質」の評価という視点が弱いとの指摘があります22)。この点についても剖検は有効な評価法になりうると信じます。剖検にはこのほかにも多くの意義があります。超高齢社会において高齢者の剖検の権利を侵すことはできません。ご遺体の個別性の記録をご遺族に報告し、老化や老衰に対する科学的情報も構築できると考えます。感染症の記録の価値、そして職業・環境性疾患などにおける重要な役割も忘れてはなりません。剖検診断やCPCに対する臨床医および病理医が持つ偏見が除かれ、真摯で公正な討論が交わされることも重要です。
世界では剖検率の向上に向けた対策を病院全体で取り組む施設もあります23)24)。しかし、残念ながら個々の努力では剖検数を増やすことは難しいようです。
そこで剖検を継続させ、その意義を医療に活かすためのプランを提案します。私はそれを、持続可能な公的剖検制度の設立プランと呼びます。まず、院内剖検率を向上させ数年以内にそれを70%以上にすることを目標に、全国から数施設の病院を募集します。目標達成のための人件費、設備費、事務経費など剖検に関わる諸費用は公的負担にします。ちなみに、現在は剖検の費用は病院負担です。一方、応募病院は具体的な行動計画を立て、毎年その進捗状況を報告しなければなりません。剖検数、剖検率、差異率、および差異分類別の疾患内訳、院内CPCの内容、剖検数増加の有効な(あるいは無効な)対策例などの報告です。
このプランが実現すれば医療と医学に活用できる科学的データの創生が可能になると思います。院内の差異数・差異率、差異疾患の内訳、差異の発生理由などの解析は医療にとって貴重なものとなるはずです。米国では、生命や予後に影響を与えるだろう差異症例が、2018年に3万件弱あると推計されています25)。剖検は老衰、肺炎、感染症、職業・環境性疾患など多くの病気に関する信頼できる情報源であり、これらの疾患データの集積や開示が行われると期待されます。病理側にもたらす利益も大きいと思います。年に数件の剖検ではその手技の向上は望むべくもありません。これらの病院は研修医が剖検教育を受ける最適な場所となるでしょう。なお、診断に難渋する症例や予期しない突然死例などは、病態や死因の解明、教育などの目的で一般病院でも剖検を行うべきです。
剖検はなぜ減少しているのでしょう。それは、現代医療の診断技術や治療法が数十年前と比較して格段の進歩を遂げているからだと私は思います。進歩は歓迎すべきことですが、医療従事者は多数の患者の診断や治療のために多忙を極めています。一方、現代の科学技術と同様に、医療は社会的リスクと表裏一体であり、それをコントロールするためには、複合的な視点と多角的考察が必要とされています26)。
剖検は長い歴史を持ち、現代の医療技術でも到達できない人体の観察方法を堅持しながら、先端科学も取り入れ進歩しています。剖検はこれからも医療の検証のための1つの方法になりうると信じています。多くの役割がある剖検が滅んではいけないという思いから、剖検の持続可能性について考えました。
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