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【識者の眼】「千円札の肖像画に北里柴三郎先生が採用されたことに想う」一二三 亨

一二三 亨 (聖路加国際病院救急科医長)

登録日: 2024-07-17

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2024年は北里柴三郎イヤーですので、今回は7月に新千円札の肖像画に北里柴三郎先生が採用されたことに関して私なりの想いをお話します。

今回の千円札の肖像画は北里先生が57歳頃の写真をもとにしたものかと思われます。肖像画というものは、小学校の教科書に描かれていた歴史上人物の肖像画を振り返ってみても、我々見る者にきわめて大きなインパクトを残し、その人物のイメージを固定させます。今回の北里柴三郎先生はいかがでしょうか? 先を見通したような、また深みのある表情をされている先生の肖像画が今後多くの皆様の北里柴三郎先生の印象になるのではないかと思いますが、私にはそのさらに奥にある優しさを感じます。

では次に、北里柴三郎先生のまた別の一面を、私が一番好きな写真からご紹介させてください。肖像権の関係で誌面に写真を掲載できないことをお許し願います。それは、1891年(北里柴三郎先生、38歳)にロンドンで開かれた第7回万国衛生学及び人口統計学会議の細菌学部門で唯一の東洋人として参加し、メチニコフ(*食細胞の研究で知られる、現代免疫学の礎を築いたロシア人研究者。白血球が体内の免疫機能に深く関わっていることを解明して、1908年にノーベル生理学・医学賞を受賞)の隣でそのほかの22名の西洋人研究者たちとともに中央に堂々と写っている写真です。凛とした佇まいで、遠くのただ一点を見つめるその表情は、実直にかつ情熱的に研究に取り組む若き日の北里柴三郎先生の人柄をよく表していると思います。1890年に血清療法を確立した翌年の写真であることから、その内なる自信も感じ取ることができます。この写真は北里柴三郎記念館(熊本県阿蘇郡小国町)で実際に見ることができますので、ぜひとも足を運んで頂ければと思います。

西洋人の中で数少ない東洋人として医学研究に邁進し、血清療法を確立した若き日の北里柴三郎先生のその表情は、学問に向き合う真摯な姿勢と情熱、さらに自信に満ち溢れており、多くの若手研究者に勇気と希望を与えてくれます。

一二三 亨(聖路加国際病院救急科医長)[若き日の肖像

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