精神分析や精神療法の分野でコンテイン(contain)という用語が使われ、それが特に、優れたセラピストに必要な能力として認識されている。誰でも、怒りや恨みの感情などをぶつけられれば、反射的に相手を拒絶し、それに対して反撃したり無視したりするだろう。そういう場合でも相手の言葉や感情を1回は受け入れ、「こちらから相手に受け入れやすい形で応答するには、どうすればよいだろうか」と考える余裕を保てていることが、相手のメッセージをコンテインすることである。このモデルは療育能力の高い母親が、赤ん坊が泣き叫んでいるのを受け入れてそれをなだめ、機嫌を取って子どもの気持ちを回復させる振る舞いである。
このように育てられた子どもには、基本的な安心感や自己肯定感が育まれる。逆に周囲の養育者の、赤ん坊の心の乱れをコンテインする力が弱かった場合に、子どもは安心させてくれる養育者のイメージを内在化できず、強い不安にさいなまれやすくなってしまう。ここでは、セラピストや母親の心が容器(コンテナー、container)にたとえられている。日本語にも「器が大きい」という表現があるが、イメージはかなり近い。
こういうあいまいな能力は、実証主義全盛の世の中で注目されにくい。目に見える行動や達成が評価される一方で、コンテインする能力は軽視されがちである。その中で、ひょっとしたらコンテインする能力が育ちにくくなっているのかもしれない。あいまいさや矛盾を抱えるよりも、明確な意思決定や行動を早くすることを求められ続けるのならば、そうなるだろう。
怒りや羨望のようなネガティブとされる感情は、自分のものであっても他人のものであっても抱えることが大変である。コスパ重視の世の中で、こういった感情が刺激される状況自体が回避される傾向が強まっている。先日話題となった兵庫県知事選挙で、当選した候補者を支持した理由を「その候補者が他の候補者等の悪口を話していなかったから」と答えた若者の話を聞いて、私は危機感を覚えた。怒りや批判は聞いていて気持ちのよいものではない。しかし、否定的なものに対する耐性が失われ過ぎた場合にそれは、精神活動の重要な一部を阻害することになる。
いろいろな感情や葛藤を自分の心の中にコンテインしてそれを味わいつつ関わる経験は、大変かもしれないが、人生を豊かにしうるものである。これをあまりに省いた場合に、相手はこちらから冷たく突き放されたと感じやすくなる。それは人間関係を狭く限定させてしまうだろう。
堀 有伸(ほりメンタルクリニック院長)[精神分析][精神療法][contain]