1月某日の早朝、ふと目が覚めるとどうにも頭が痛い。家人を呼んで、「もしかすると頭の中で出血しているかもしれない」と告げ、頭痛薬で様子を見ることにした。後になって聞いたところ、その後私は意識を失ったようだ。そこで家人がようやく救急要請し、川口市立医療センターに搬送、右中大脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血と診断され、直ちに開頭クリッピングと外減圧術を受けた。
おぼろげな意識の中で、頭痛と伴に喉の強い痛みを感じた。おそらく挿管チューブによるものだったのだろう。担当医らしき人物に「くも膜下出血になり手術を受けたのですよ」と声をかけられたのは、手術室から救急の病室に戻ってからのことだろう。「やっぱり、エス・エー・エイチだったんですか、そうかなと思った」と私は返答した。我々の社会が守っていかないといけない「医療」とは、やはりこういうものだと思った。
こうして私の入院生活が始まった。最初の1週間、とにかく頭が痛かった。術直後から、医療者の声はよく聞こえた。覚醒している分、四六時中頭が割れるように痛いのには閉口した。
両手を拘束されていたので、痛い頭を押さえることもできなかった。痛い頭に手で触れたところで頭痛がおさまるわけではないのだが、拘束で自由を奪われるストレスは大きかった。ベッド上で排泄することはなかったから、トイレに立ったのは、術後数日以内だったはずだ。とりあえず、短い距離の歩行と排泄は、開頭手術から数日で自立していた。そんな自分が拘束されなければならないことは随分理不尽だと思った。
拘束で自由を奪われることに加えて、尿道留置カテーテルの存在がストレスに感じた。厳密な水分管理が必要であるという医学的必要(というか医学的心配)は理解できる。それでも排尿は自立していたし、尿道留置カテーテルがなくても測ることはできると抗議した。結局、度重なる要求が聞き入れられたのか、術後1週間ほどで抜去された。
また、食事も術後数日後には始まった。そのときに右手で持ったスプーンの先端の丸い部分が見えないことに気づいた。食後、歯ブラシを持ったときに、歯ブラシのブラシの部分が見えず、どちらが柄なのかがわからなくなり、左半盲があることを自覚した。
偶然にも、くも膜下出血という病を経て、これまで気づくことのなかった患者から見た医療を知ることになった。その分、依頼されていた講演を4つほど断ることになった。中でも、オックスフォード大学から招へいされていた講演の機会を逃したことは、自分でも楽しみにしていた分ショックだった。
川口市立医療センターのスタッフの方々には感謝しかない。この施設が埼玉県南部ではたしている役割の重要性を、身を以て知った。それと同時に、救急そして医療を制度としてこれまで守ってきてくれたすべての先達にも感謝したい。お陰で一命を取りとどめることができた。この国に暮らすすべての人が、その恩恵を受けることを確実なものとするために、これからのわたしの人生はあるだろう。health policyの価値が軽視され、負担イメージばかりが強調される粗雑な議論が横行する中で、health policyをきちんと論じることの必要性は増している。
森井大一(日本医師会総合政策研究機構主席研究員)[health policy][患者目線]