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【識者の眼】「なぜ私たちはミャンマーに向かったのか─危機の中で届ける医療支援」稲葉基高

稲葉基高 (ピースウィンズ・ジャパン空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”プロジェクトリーダー)

登録日: 2025-04-24

最終更新日: 2025-04-23

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2025年3月28日、ミャンマー中部で発生した大地震は、多くの人々の命と、安心して暮らせる場所を奪いました。私はその翌週、空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”の医療チームのリーダーとして現地に入りました。政情が不安定なミャンマーでは、被災地への医療支援がきわめて困難であり、WHOが主導する「緊急医療チーム(emergency medical team:EMT)」の国際的な受け入れ体制も整備されていませんでした。それでも私たちが現地に向かったのは、「支援が届かない場所にこそ、私たちが行くべきだ」という信念があったからです。

支援の中心となったのは、最も被害の大きかったザガイン地域でした。最寄り都市マンダレーから通常なら車で30分ほどの距離ですが、被災により道路が寸断され、移動には3時間以上を要しました。私たちは主に寺院や仮設診療所を活用し、診療、搬送、物資支援など幅広い活動を行いました。現地では、軍政府に反対して辞職した医師も多く、平時から医療人材が不足していました。加えて、今回の地震によって骨折や脱水、敗血症など重症例が急増し、適切な治療が行き届かない状況が広がっていました。

特に印象に残っているのは、下腿の開放骨折を負った50歳代男性の症例です。受傷から1週間が経過し、感染と全身状態の悪化が懸念される状態でした。当時、ザガインの病院には手術対応の余力がなく、私たちはインドの緊急医療チームが運営する「Type 2 EMT(手術や入院を含む高度な医療を提供できる国際基準の施設)」への搬送を決断しました。今回のEMTはインド軍による展開であり、NGOとしてはCivil-Military Cooperation(民軍連携)の観点から慎重な対応が求められる場面もありましたが、国境や組織の垣根を越えた協力が命を救う力になることを、現場で実感しました。

今回の派遣では、医療行為にとどまらず、宗教的配慮や文化的理解、さらには政権側との交渉など、医療者の枠を超えた総合的な対応が求められました。だからこそ、単に「治療する」だけでなく、現地で“信頼”を築くことが、何よりも大切だと感じています。

この支援は、私たちが日本国内で日常的に行っている災害医療の延長線上にある活動です。国際協力は決して特別なものではなく、どこであっても、人の命と尊厳を守るための普遍的な営みであることを、あらためて確信しました。

次稿では、現地で直面した協働の現実と葛藤、そして国際基準に基づくEMT活動の実際についてお話ししたいと思います。

稲葉基高(ピースウィンズ・ジャパン空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”プロジェクトリーダー)[災害医療医療支援

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