柴田錬三郎の葬儀の司会を務めたのが、SF(サイエンス・フィクション)と時代小説の2つのジャンルを融合させて、「時代SF」という新分野を開拓した作家、半村 良である。この人にもペンネームにまつわる面白い逸話がある。
外国人タレントとして活躍し、文楽の人形遣いと結婚して話題を呼んでいたイーデス・ハンソン(良いです、半村)に由来するという噂が一時流布したのだ。薬品のネーミング法などをヒントに語呂の良いものを選んだのが拡がり、そのまま一種のシャレとして楽しむことにしたのが真相らしい。この洒脱で発想豊かな異能の作家の妻も、鶴岡の生まれであった。
半村 良、本名清野平太郎は1933(昭和8)年、東京は葛飾区柴又に生まれる。父、茂は山形県東田川郡朝日村大網(現・鶴岡市)の出である。半村が父の出生地をほかの人に説明するとき、「例の横綱柏戸が出た村」とよく語っていたというが、旧山添村と混同している。その父も半村が6歳、小学校1年になったばかりの時に亡くなったため、東京へ出たいきさつは詳かでない。学歴も縁故もない田舎出の茂のような若者が都会で這い上がるには、人並み以上の辛抱と努力が要求される。しがない町工場の住込み工員から始めて、やがて神田の簿記学校に通いながら防水シートを扱う会社の経理を任せられるようになる。後年は三つ揃いの背広を着て、ダットサンを乗り回すほどの羽振りの良さだった。
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