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五浦(いづら)に旅して思う近未来の医学教育 [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.90

矢野晴美 (筑波大学医学医療系教授/水戸協同病院)

登録日: 2017-01-03

最終更新日: 2016-12-26

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茨城県の県北にある五浦(いづら)は、私のお気に入りの場所です。かつての教え子の親しい友人に教えて頂き、初めて足を踏み入れました。そこは、偉大な思想家・岡倉天心のゆかりの地です。

岡倉天心は、東京芸術大学の前身である東京美術学校の設立に大きく貢献し校長として活躍しました。また“The book of tea”(英語原本)にて、“茶の湯”の世界、日本文化を英語で執筆しました。これは新渡戸稲造の“武士道”と並び、日本と世界の架け橋となる名著のひとつです。また、ボストン美術館にて日本美術品を集積し展示するなど、世界に日本文化を広めるという大きな貢献をしました。

私は、英語をきっかけに、異文化交流、文化人類学、比較文化学、哲学、歴史にとても興味を持ち始め、一時はその領域に進もうかと思うほど傾倒していました。そのような背景もあり、五浦の歴史に心惹かれ、岡倉天心の著書をひもとき、茨城県天心記念五浦美術館を2回訪れました。天心は、五浦の地で横山大観を代表とする多くの後進の育成に努め、日本画においてもその功績は大きなものです。

天心の若手育成、教育や歴史を学びながら、近未来の日本の医学教育に思いを馳せています。日本に新しいものを導入した先陣、医学では北里柴三郎は第一人者です。いろいろな確執にもめげず、日本に近代医学の礎を築き、志賀 潔をはじめ、私の母校の先輩でもある秦佐八郎や多くの後進のロールモデルとなりました。

五浦の断崖絶壁からは群青色の太平洋がはるかまで見渡せます。群青色の太平洋を見つめて、医学領域の多くの偉大な先陣たちの功績を思い返しながら、若手ともっともっと交流したいと改めて思っています。国籍、人種、年齢、立場、領域によらない縦横無尽なネットワークを構築し、多様な人たちと常に接することで、人は学び進化します。国際学会に同行してくれた21歳の甥のスマートフォン“三昧”の24時間、情報収集パターン、問題解決・意思決定の仕方などを垣間見ながら、多くのことを学びました。

“knowledge management”(知識管理)は、医学教育の核です。リアルタイム、バーチャル、デジタルといった加速するフラットな世界にフィットした医学教育を自ら実践すること、これが私の新春“つれづれなるままに”です。

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