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21世紀のars moriendi(臨終のアート)[エッセイ]

No.4899 (2018年03月17日発行) P.66

塚本玲三 (茅ケ崎徳洲会病院)

登録日: 2018-03-18

最終更新日: 2018-03-13

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2016(平成28)年10月27日、三笠宮崇仁殿下が逝去された。年齢は100歳で、メディア情報によると、心不全のために聖路加国際病院の集中治療室で亡くなられたとのことである。ご臨終のあり方が殿下の意向にそったものかは不明である。人工呼吸器や生命維持装置の装着や心臓マッサージなどの心肺蘇生術が行われなかったことを私は願っている。

人生の終末を迎えることは、誰にとっても人生最大事業である。ところが、わが国においては、病院死が約8割という世界でも類がない数字が示すように、死を社会や家庭から隔離しており、看取りの方法は、病院あるいは担当医にまかせられている。そして看取りの場所の決定は、患者本人よりも家族の意向によることが圧倒的に多い。

在宅死が少ないため、一般市民が臨終の場を体験する機会がきわめて少ない。戦争体験者も減少しており、死について話したり、考えたりする「死の教育」が欠如した社会になっている。その結果、病状悪化時には救急搬送され、本人が尊厳死の意思表示をしていても心肺蘇生術の修羅場を体験したり、植物人間化して鳥の出し殻の様相で、実にみじめで悲しい人生の終焉を迎える人が少なくない。個人の死は誰のものか、原点に立ち返って考える必要があるのではなかろうか。

私を含めて医師の立場ではどうであろうか。医学生時代から卒後50年以上の臨床医としての体験を振り返ってみて、臨死状態の病人およびその家族への接し方を正式に習った記憶がまったくない。先輩医師のやり方を真似して、自己流の工夫を凝らして現在に至っている。

私たちの年代の医学教育は、キュア主導型で「人の命は尊いから、1分1秒たりとも患者を生き続けさせるのが医師の使命である!」と先輩たちから徹底的に教え込まれ、患者の死はサイエンスとしての医学の敗北を意味した。したがって、三笠宮殿下のような高齢の患者でも呼吸循環モニターをし、点滴はもちろん、人工呼吸その他、種々のチューブ類を装着して、いわゆるスパゲッティ症候群にして集中治療を行う。危篤状態から脱すると、今度は中心静脈栄養または胃瘻造設による経管栄養によって生かし続けることが至極当然のことで、そうすることによって近代医学の時流に乗っている意識が強かった。病院で受け持ち患者が亡くなって医師が涙ぐんでいるとしたら、それは尊いいのちの終焉のためではなく、死との戦いに敗れた悔し涙であった。

医学の歴史を顧みると、感染症の治療から始まって、臓器移植や遺伝子治療に至るキュアの医療の期間はわずか100年間に過ぎず、それ以前の2000年以上もの間は、家庭でケアをすることによって病気の自然治癒を待つしかなかった。また、戦争や災害による死も多く、死は巷においてごく当たり前の現象であった。しかし、サイエンスとしての医学の進歩に平行して、病院での治療が普及し、治しえない病状の患者もキュアを望んで入院するようになった。

現在、キュアに対する期待が過剰になっており、高齢患者が加齢に伴った病状が悪化して重症になったときに、家族から「徹底的に治して欲しい」という無理な要望が寄せられ、医師側が当惑することは珍しくない。米国では患者負担の医療費がきわめて高く、ある程度そういった要望に対する歯止めがかかるが、それでも同様な問題に医師たちは悩まされている。

他方、過去にはありふれていた在宅における看取りは、現在、国民の半数以上が在宅死を望んでいるにもかかわらず、実際は、死亡者全体の約1割しか行われていない。わが国では、個人の自律や尊厳がいかに軽視されているかが明らかであろう。

病院に入院すると、必然的に患者は弱者の立場におかれ、病気の治療方針は医師主導型になってしまう。それを患者主導型にするには、入院時に、患者・家族・医療者の三者協議によって、終末期における治療やケアについての対応策をあらかじめ練っておくことが望まれる。それには、近年、カナダや英国で施行されているアドバンス・ケア・プランニング(advance care planning:ACP)方式が参考になると思われる。

米国臨床医学の祖と呼ばれるウイリアム・オスラー先生は、「臨床医学はサイエンスを基礎に置いたアートである」と、医学はサイエンスよりもむしろアートを主体とすべきことを強調している。今後さらに高齢者が増え続けるわが国では、加齢現象まで医学のサイエンスで徹底的に治そうとせず、医学のアートという医療の原点へ回帰することによって、多くの高齢者が安らかな永遠の眠りにつくことが可能になるのではなかろうか。また、そうすることによって膨脹し続ける医療費の抑制も可能になると思われる。

わが国では、鎌倉時代中期に禅僧の然阿(良忠上人)が作成した『看病用心抄』という優れた看取りのガイドブックが存在していた。無用な医療(futile medicine)を省いた21世紀にふさわしい、心が温まるars moriendiについての新しいガイドブックの出現を、私は心から願っている。

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