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スポーツ界のパワハラを考える[炉辺閑話]

No.4941 (2019年01月05日発行) P.80

大和田倫孝 (国際医療福祉大学病院病院長)

登録日: 2019-01-05

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2018(平成30)年はスポーツ界でのパワハラが注目され、女子レスリング、アメフト、女子体操などの指導者のパワハラが次々に取り上げられた。パワハラをなくし、健全な指導法を取り入れることは重要である。しかしながら、かなり昔の事柄も引き合いに出して批判するのには疑問を感じる。

かつてのスポーツ根性ドラマ(「巨人の星」など)が全盛であった頃、練習では徹底したしごきがあった。また「24時間戦います」を合言葉にサラリーマンは日夜仕事に従事し、それを美談とする時代背景があり、残業の制限という概念もなかったのである。現在は、当時とは社会背景も、人の考え方も大きく変わってきた。それを理解しない一部の指導者が、昔ながらの指導を省みず、現在も引きずっているのが問題とすべきパワハラだと考える。つまり、過去の事例を引き合いに出し、現在の基準で徹底的に叩くのには抵抗を感じるのである。

かつての人気テレビドラマに「水戸黄門」というのがあった。わかりやすい勧善懲悪物であり、ドラマの後半で、水戸黄門が「懲らしめてやりなさい」というと助さん、格さんが悪人をやっつけ、「もうその辺でいいでしょう」といって終了する。決して徹底的にはやっつけず、手加減をし、反省して立ち直る余地を残すのである。

パワハラを追求するあまり、古い昔のことまで穿り返していると、終には指導者が全員いなくなる可能性もある。聖人君子でない集団では、手加減し、程よいところで終わりにすることも人間の知恵だと思う。

医師の世界でもパワハラの概念が浸透し、後進の指導に苦慮することが多くなった。強い口調でいうとパワハラになりかねないが、優しい指導者ばかりでは知識、技術は上達しても逆境に耐える強靱な心は形成されないように思う。

治療困難な症例、長時間の手術、理解のない患者・家族の罵声に遭遇したときに、無力感に苛まれ、心が病んでしまう懸念がある。不利な状況に立ち向かう強靱な心は優しさだけでは養えない。パワハラでない指導とは、たとい厳しくても、その指導が進歩の糧になることが重要であろう。

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