大学入学以来、愛知県がんセンターの研修医時代と米国留学時代を除き、人生のほとんどを岡山で過ごしてきた。生まれ育った信州長野市に比べて、気候が温暖で、交通の便も良く、過ごしやすい良い街だと思っている。
市街には、岡山城、藩主の庭園であった後楽園があり、城下町の歴史を色濃く残している。残念ながら岡山城の天守城郭は戦中焼失後の再建だが、石垣は戦国武将の宇喜多秀家築城時のまま残っている。城郭外観は黒漆塗の壁が特徴的で、この印象から「烏城」と呼ばれ、独特の外観が市民から愛されている。
さて、地元でも知らない人が多いのだが、実は岡山城の特徴は石垣にもある。岡山城の石垣全体の形状は、通常の四角形(四辺形)ではなく五角形であり、その五角形も歪んだ五角形である。すなわち、野球のホームベースを思い浮かべた時、底辺の三角部分の二辺の長さが違う。これに合わせて、城郭の一層階も歪んだ五角形となっている。なぜ、このようなasymmetrical pentagonになっているのか?織田信長築城の安土城を模したという説が有力のようだ。では、織田信長や宇喜多秀家はなぜこのようなasymmetrical pentagonにしたのか、何か戦術的な意味があったのだろうか?実は彼らの「美学」による、というのが正しいようだ。
すなわち、当時の戦国武将には「歪みの美学」があり、建築物、武具等にあえてsymmetricalな構造を嫌い、岡山城のようにさりげなく「歪みの美学」を取り入れたらしい。この戦乱の時代は、勢力争いの戦いに明け暮れたようなイメージがあるが、実は楽市・楽座の出現のように、様々な社会的革命が行われた時代であった。それを先導し実施した織田信長のような武将たちには、既存概念を変えていく素晴らしい発想力があり、そのひとつの表現体がasymmetrical pentagonであったということもできる。
現在の岡山の人々は一概にまじめであり、革命的気質からはほど遠いように思える。しかし、江戸時代には県北の津山を中心にわが国の蘭学のメッカとなり、時代の医学を先駆けていた。岡山城のasymmetrical pentagonのように、既存概念に囚われない医師を育てるのが私の夢である。