No.5004 (2020年03月21日発行) P.64
工藤弘志 (順心病院サイバーナイフセンターセンター長)
登録日: 2020-03-21
(No.5000の続き)厚生労働省幹部との面接後、健康保険法と療養担当規則なるものを調べ、保険診療の基礎となる法令であることを初めて知りました。後日、理由は不明ですが、採用通知が来ました。58歳になるまで、療養担当規則を知らないような医者が、偉そうに保険指導医療官になっていいものだろうかと躊躇しましたが、流れに乗って、役人になってしまいました。4年間、仕事をしている間に、私のような医者も少なくはないことを知り、「このようなことを避けなければいけない」「知らないこと、無知、は恥ずべきことで、私のような医者を生み出してはならない」との思いを書き記したのが拙著『元指導医療官が指南 保険医のための保険診療講座』(日本医事新報社)です。
どうして私のような医者が生まれたのでしょうか。保険医療機関で働く保険医である以上、当然知っておくべき事項が多々あるわけで、それを知らなかったのは自己の怠慢であると言われればそれまでですが、保険医は必要事項を知らないといけないということさえ知らなかった、前述の如く、ただひとかどの脳外科医になりたかっただけ、というのが現状でした。
振り返ると幸いなことに、今まで保険診療に暗い私に診療上大きな問題が起こらなかったということに関しては、偶然が影響しているように思えました。
卒後3年目に市中病院で勤務している頃、脳外科医は2人だけで、部長が急病で倒れた後は私1人で診療科を運営することになりました。当然、診療報酬請求書(レセプト)のチェックをしなければなりません。脳外科の診療点数は高く、厳しく査定されるとのことで、周りの医師や事務員に教えていただきながら、自分なりに真剣にチェックしました。当初は戸惑いの連続でしたが、次第に慣れてきたことを記憶しています。
8年目に大学病院の脳外科の病棟医長を命ぜられました。当時の教授は大変厳しく、診療報酬で減点されることは認めないと病棟医長就任時に厳命されました。その頃には、「診療報酬請求書というものは、この月にこのような患者がいて、このような疾患を疑って検査をし、このような診断の下、このような治療を行いましたので、診療費用をお願いします、という報告書である。診療録はその報告書の原本である」と思っていましたので、あまり苦にはなりませんでした。
工藤弘志(順心病院サイバーナイフセンターセンター長)[保険診療雑感③]