「腕が痛いんです」そう受付に言って彼女は夏の夜中、救急外来にやってきた。季節外れの長袖のパーカーを着て、マスクをして、身なりはしっかりしているように見えた。診察室に呼び入れるが、斜め下を向いたまま一言も言葉を発しない。予診票にはただただ「左腕」とだけ書いてあった。
このあたりから、私は何とも言えぬ違和感を覚え出した。「腕が痛いというのは建前で、本音はもっと別のところにあるのではないか」と。痛い場所は左前腕、袖をまくり上げてもらうと、いびつな形の皮膚欠損があった。自傷行為だろうか、必要な創処置を粛々と行いつつ、救急外来というセッティングではあったが時間をしっかりとって患者と向き合うことを決めた。沈黙が続く中、「何があったんですか?」と切り出した。「覚えていないんです」が返答であった。夜中、一人自室にいたが、気がつくと左前腕が血まみれでハサミが床に落ちていたそうで、気がつくと痛みも感じ出し、驚いて来院したとのことだった。自分でも意識せず長袖のパーカーを着ていたらしい。
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