加齢によってもの忘れを来たすことはいうまでもないが、しかし認知症と異なって、日常生活には支障なく、ヒントを与えられると思い出せるという特徴が加齢によるもの忘れである。
私は月曜日から土曜日まで、毎日外来で診療しているが、その時は電子カルテを使用して、患者さんの病歴や、検査所見や、次回予約日などをすべて自分で入力している。患者さんの中には、時々「その年でよく電子カルテを操作しますね」と言われるお方がいるが、電子カルテの操作はいわゆる手続き的記憶に属するもので、一旦操作を覚えると、その後の診察に差し支えなく操作することができる。
加齢により、人の名前がすぐ思い出せないことがある。カルテには患者さんの氏名が記入してあるから、診察の時に患者さんの名前を間違えることはない。しかし日常の診療においては、いちいちカルテの氏名を見るよりも、診察室に入ってきた患者さんの容貌をみて判断するものである。最近の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で、外来患者さんはすべてマスクをつけているが、患者さんの眼をみるだけで、誰かを識別できるものである。「目は口ほどに物を言う」ということわざどおり、目は患者さんの表情をあらわすものである。
ところで、自分の名前を言えない人は、よほど重い知的発達障害か、重症の認知症か、心的外傷による解離性健忘かである。そのため、改訂長谷川式簡易知能評価スケールでも、年齢、今日の年月日、曜日、今いる場所は聞くが、名前を聞く質問はない。最近、外来を受診された、認知症が疑われるご婦人に「お名前は」と質問した。「○○○○です」と答えられた姓が、カルテの姓と異なっているので、かたわらのご主人に聞いてみると、「結婚前の姓です」と憮然たる面持ちで答えられた。どうして結婚後の年数が長いのに、その姓を忘れて結婚前の姓を言われるのか、そのメカニズムについて、医事新報の読者諸賢にお聞きしたい。