週刊「日本医事新報」は今年2月、創刊100周年を迎えた。この100年に医学・医療はどのように変化してきたのか─。本号では感染症専門医の岩田健太郎教授(神戸大)に10程度のトピックを選んでいただいた上で、感染症の100年を振り返るとともに、将来を担う若い医師に向けたメッセージを寄稿していただいた。
さらに、トピックに関係した日本医事新報の誌面を100年分5050号の中から編集部が選び、紹介する(団体名、肩書は当時)。
感染症界の重要なイベントは数多く、とても10に絞り込むことはできない。筆者の個人的見解でなんとか以下にまとめてみたが、重大なイベントは多々こぼれ落ちていることをお詫び申し上げる。あくまでも「この100年」なので、コッホ、パスツール、ゼンメルワイスたち黎明期の巨人の業績は入っていない。
①1928年 ペニシリンの発見とその後の大量生産
②1950年代から 薬剤耐性菌の勃発と増加
③1977年 天然痘の自然界での撲滅
④1981年 エイズの出現
⑤1990年代後半 効果的な抗HIV療法(HAART、後にART)の開発
⑥1990年代 エビデンスベイスドメディシン(EBM)の誕生
⑦2001年 炭疽菌によるバイオテロ事件
⑧2014年 西アフリカにおけるエボラウイルス感染症の流行
⑨2020年 COVID-19のパンデミック
1921年から2020年までの100年間は、それ以前の100年とどう異なるのか。一つには、抗菌薬や抗ウイルス薬といった病原体スペシフィックな治療薬が誕生し、これが治療の根幹をなすようになったことがある。最近ではC型肝炎ウイルスに対する直接作用型抗ウイルス薬(DAA)が驚異的な治療効果を発揮し、世界からC型肝炎を撲滅することも夢ではなくなってきた。
さらに、予防接種制度の充実がある。世界保健機関(WHO)などの努力もあり、天然痘は撲滅、ポリオも撲滅寸前になり、かつて世界的に流行していたジフテリアや破傷風などを激減させた。小児の大きな死因であった肺炎球菌やインフルエンザ菌感染症も激減、細菌性髄膜炎を見たことがない医師も珍しくなくなったのではないか。最近ではHPVワクチンが子宮頸癌など重大な癌を激減、数十年後には事実上撲滅することも視野に入っている(日本を除く)。
一方、これまで存在していなかった、存在を知られていなかった新興・再興感染症が多々見つかったのもこの時期である。そして、局地的に発見されるこうした感染症はグローバル化した世界においてすぐに広がってしまう。米国で発見されたエイズはすぐにグローバル化し、アフリカのエボラウイルス感染症も世界全体に危機をもたらす時代である。2019年に発生したと考えられる新型コロナウイルス感染症(COVID-19)はあっという間にパンデミック化してしまった。これは微生物学的属性のみならず、我々人間社会の変化がもたらした現象である。
人間社会がもたらした、といえば薬剤耐性菌だ。多くの薬剤耐性菌は自然界で作られるが、同様に多くの耐性菌は抗菌薬使用という人為的行為がもたらしたものだ。この問題は動的問題であり、我々が耐性菌対策のために開発した広域抗菌薬が、新たな耐性菌問題を生むというイタチごっこをもたらしている。この問題に対する多種多様な対策もこの100年の感染症界を進歩させてきた(感染防御という専門領域が生じたのもこの時期だ)が、薬剤耐性菌問題を無化する抜本的方法が存在しないのもまた事実である。次なる100年も戦いは続くだろう。
20世紀初頭は微生物と呼応する感染症はほぼほぼ1対1対応をしていた。結核菌と結核、マラリア原虫とマラリア。微生物学者がそのまま感染症診断や治療の指南をしていた時代である。しかし、後に「もの」である微生物と「現象=こと」である感染症は1対1対応を取らなくなる。定着していても治療の対象にならない微生物が検出されたとき、そこに「微生物学的正解」は存在しない。臨床判断が必要になるのだ。検査の解釈も複雑化し、単純に検査結果に反応するプラクティスは不適切なプラクティスである。COVID-19においてもそれは例外ではない。EBMが感染症診療においても必須なのは、ランダム化比較試験の結果を暗記しておけという意味にとどまらない(暗記は必要ない)。「診断とはなにか」という比較的シンプルな命題が複雑化しているのが現代であり、コッホの時代の素朴な微生物検出だけでは不十分なのであり、その時活用されるのがEBMなのだ。
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医学が進歩し、その他のテクノロジー(特にAI)が進歩して、医学・医療の様相もこれからどんどん変化していく。少子高齢化、人口減少時代に入った日本においては人的配置の適正化も重要な問題である。それは「働き方改革」や「女性の活躍できる社会」という難題ともあいまって、大きな課題である。皆さんが医師として活躍する時代において大事なのは、我々が医師として大事とされてきたものとは、大きく異なる。
医師という職業の特徴の一つに「独占性」というものがある。医師にしかできない仕事や役職がとても多いのだ。典型的には病院長とか、(事実上)保健所長だ。が、上記の問題からこういう独占性はどんどん消失していくことであろう。看護師や薬剤師など他の医療職にできること、しなければならないことは増加し、医師はその役割をアウトソーシングせねばならない。しなければやっていけない。新型コロナのワクチン接種などは、医療職みんなでやっていくのが最も効率的なのだ。これができていないのは筆者が知る限り日本だけで、このへんもまた、日本の感染症界はまだまだ発展途上なのである。
では独占性を失った医師の未来像はどこにあろうか。ひとつは、先に上げた「疾患原因(例えば病原体)」と「疾患(現象)」の関係性を明らかにすることにある。率直に申し上げて、現在の日本の医師はこの作業を苦手にしている人が多いので、未来の皆さんはぜひこの問題を克服していただきたい。
次に大切なのは洞察力(アブダクションとここでは呼びたい)だ。これも現代日本の医師が苦手とするところだ。我々の思考プロセスは演繹法と帰納法で行われがちだ。昭和の時代(というのが昔ありました)の日本医学界は概ね演繹法オンリーで診療していた。EBM時代からこれに帰納法が加わり、「エビデンス」を根拠に治療薬を決めたりするようになった(今も、エビデンス、ガン無視で薬は選ばれてますけどね)。ここに「今は見えてないものを見る」洞察こそが、今必要とされる、そして未来を担う皆さんに取得していただきたい能力だ。
それは、常に新しい現象との対峙を前提としなければならない感染症領域において特に重要な属性だ。新しい現象(新興感染症)において「分かっていること」よりも「分かっていないこと」のほうが遥かに多いのだが、それでも我々は妥当な判断をし、対応しなければならないのだから。「分かっているデータ以外は知りません」ではだめなのである。〈3月21日寄稿〉