No.4738 (2015年02月14日発行) P.14
二木 立 (日本福祉大学学長)
登録日: 2016-09-08
最終更新日: 2017-03-09
「地域包括ケアシステム」は、当初は介護保険制度改革として提起されましたが、現在では医療制度改革を含むものに拡大しています。しかし、この用語の法・行政上の出自と概念拡大の経緯は断片的にしか知られていません。そこで、本稿では、2000年以降の各種の政府文書や厚生労働省高官の発言等に基づいて、この点を探索的に検討します。
「地域包括ケアシステム」の政府文書上の初出は、2003年6月の高齢者介護研究会(厚労省老健局長の私的研究会)報告書「2015年の高齢者介護」です。それのⅢ-2「生活の継続性を維持するための、新しい介護サービス体系」の(4)で「地域包括ケアシステムの確立」が、以下のように提起されました。「要介護高齢者の生活をできる限り継続して支えるためには、個々の高齢者の状況やその変化に応じて、介護サービスを中核に、医療サービスをはじめとする様々な支援が継続的かつ包括的に提供される仕組みが必要である」。この時は、地域包括ケアシステムは介護サービスが「中核」とされました。
中村秀一老健局長(当時。以下、肩書きはすべて発言時)は、この報告書についての対談で、地域包括ケアシステムの重要性を強調するとともに、「地域包括ケアシステムは、それこそ地域の実情にあったいろんなシステムがあっていい」と述べました(『介護保険情報』2003年8月号:6-11頁)。
「2015年の高齢者介護」で提起された諸改革のうち「介護予防・リハビリテーションの充実」や「痴呆性高齢者ケア」等は、社会保障審議会介護保険部会(以下、介護保険部会)の議論を経て、2006年実施の介護保険法第一次改正に取り入れられました。
しかし、地域包括ケアシステムについては、第3回介護保険部会(2003年7月)で少し議論された後、2008年2月の第24回部会(2009年の政権交代前の最後の部会)までの5年間まったく議論されませんでした。2008年の介護保険法第二次改正にも地域包括ケアシステムの記載はありませんでした。
以上から、2004〜2008年の5年間は地域包括ケアシステムの「法・行政的空白(停滞)期」と言えます。この時期の前半は小泉内閣が厳しい医療・介護費抑制を厚労省に厳命した時期です。厚労省はそれに従って介護保険分野でも、介護予防による介護給付費抑制、介護療養病床の廃止等の立案に追われました。この時期の後半には、最大手の介護事業者コムスンの不祥事が生じ、厚労省はそれに対応した改革(介護保険法第二次改正)に忙殺されました。そのために、地域包括ケアシステムの具体化にまで手が回らなかった可能性があります。
残り2,222文字あります
会員登録頂くことで利用範囲が広がります。 » 会員登録する